漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

虫の記憶

■天気もいいし休みだしで、支笏湖まで行ってきた。道中は自転車組がたくさん。ちょうどいい距離なんだろう。

■湖畔でボーッとしていたら突然、耳元でババババッと大きな音がして、あわてて払ったらセミだった。今年初のセミ捕獲。しかし、なんでまたピンポイントで降ってきたんだ。

■オトシブミも見つけた。葉を巻いて揺りかごをつくり、そのなかに卵を生む。小学校の国語の教科書に載っていて、実際に見たくて、あちこち探し回ったものでした。

■もっとも教科書に載っていたのは近縁種のハマキチョッキリだった気もする。ポプラの葉を巻いていたと思うのだが、巻いた形はオトシブミのそれで、ハマキチョッキリとは違う。記憶が混じっちゃってるのかな。確かめたい。

麻雀を教える

■いつもの夜回りメンツで麻雀を覚えたい人がいるというので、終了後の打ち上げに使っている居酒屋で麻雀を教えた。

■以前はよく漂着教室の利用者たちにも教えたものだ。四人集まるとよくやっていたので、それを見た新しく来た人が覚えたいというので教える、という流れ。教えるこちら側も出来るだけ早くみんなと遊べるように、と教え方が進化していった。今回も数時間でとりあえずの形までは教えられて、楽しんでもらえたようだ。

■一時期はフリースクールといえば皆麻雀をしているな、と思ったものだ。フリースクールの中で麻雀を教える役の人と、その技術を比べてみたいな。

■そういえば、今度の金曜日は漂着宴会だ。久しぶりに麻雀するかな。(月曜日)

手間

■俺のなかでは7は8寄りだなあ。7まで来たらもうゴール見えたって気になる。6は5と大差ないけど。8はもうほとんど10だし、9なんてカウントする必要すらない。あれは10って、似たような話をどこかで聞いたなと思ったら、あれだ。やさしいズのコントだ。80%って100%なんだよ。


やさしいズ コント「病院」【公式】

実際、28歳から面倒で30歳って言ってたからな。そういうわけで、いまのワタクシの年齢は50歳です。

■数字に色はつかないけれど、音楽と映像は結びついている。ある音楽のある部分で、かならずおなじ映像が見える。前に書いたことがあるかもしれないけれど。

■最近、知り合いから木のおひつをもらって、ふだんの生活で使っている。ちょっと黒ずんできて、どう手入れすればいいのか試行錯誤中。ほかに小さなナイフを一本買った。いまは研ぎ方の練習中。いくら研いでも切れなくて、刃にサインペンで色を塗って確認したら、ぜんぜん研げていなかった。ようやく感覚がつかめてきたところ。上手に研げるようになったら研磨剤でピカピカにしよう。それとも床屋さんカミソリみたいに革で研いでみる? それもいいな。

■こうやって日常に手間をかけるのは楽しいんだけど、ちょっと気持ち悪くもある。『暮しの手帖』的「ていねいな生活」は、過酷な状況を楽しむタフさの陰で、こんな状況はおかしいじゃないかというそもそもの問いを隠蔽する。『この世界の片隅に』に乗り切れない理由でもある。

■でも、個人で勝手にやっている分には楽しいのだ。以前、木を磨いたら楽しかったという話を書いたのだが、これもおなじ。たまに頭のなかをからっぽにする時間はきっとあった方がいい。
hyouryu.hatenablog.jp

共感覚の話を聞いた話

■こんにちは、ボラスタ高橋です。昨日の茂木さんの話で、昔共感覚がある人の話を聞いたことを思い出しました。

■それは、KONAMI音ゲーの作曲者がやっているラジオだったのですが、その中の一人に「ものを見ると色が浮かぶ」という人がいました。しかもその人は、「色から和音が浮かぶ」人で、作曲に活かしてると言っていました。全然そんな世界が分からず、遠すぎて「へー」となるだけですね。自分としてはそういう世界がオカルトに近くて、信用できないような気持ちでいたんですが、最近は、「まあそんなのもあるか」と少し緩みました。

■ちなみに、昨日の茂木さんの話の中の、「数学は青」とかは不思議と納得しました。共感覚って他者とも共有できるような感覚なんですね。みんながものすごく納得できるような共感覚が存在するならものすごいおもしろいですね。ではでは。

共感覚ではないけど

■訪問先で身長の話になり私の身長が157だと言ったら、「あ~7って6よりの7で弱いよね」という話から、各々が思う数字についてのイメージの話題になりました。

■覚えているのは「4は123のグループから抜けてる」、「8は3番手のくせに10と9に混ざってデカい顔してる」、「7は6より、6は7より」、「5は別格。皆好き」、「2はずるい」。そんな訪問先の子の好きな数字は6で、私が好きな数字は4です。「好きか嫌いかは関係ない、イメージの話」と言っていました。

■その後共感覚の話になり(文字に色や匂いを感じる感覚)、「数学」「国語」「理科」等の文字は何色か?という話になりましたが、大体は「使っていた教科書の色」だったり「担任の先生が作った時間割の色」のイメージが強いという点に落ち着きました。大体数学=青、国語=赤、理科=緑、社会=オレンジ(茶色)。

■それから1~10で考えるより1~12で考える方が落ち着くよね。だって1年は12ヶ月だし、干支も12個だし、という点に気がついていました。それから月で数字を考えると「12月は皆好き」「4月は最強」「自分の誕生日月は別枠」とのことでした。みなさんは数字についてあれこれイメージはありますか。

あれから

■皆さんこんにちはボラスタの山川です。

■ダイエットを始めて1週間がたちました。エナジードリンクもやめ、夜の炭水化物もやめ、お菓子もやめました。段々やめるのが楽しくなってくる。今度はお酒をやめてみようと思います。飲み物は全て水かお茶、もしくはアクエリアスZEROにしてカロリーを抑えています。まあ昨日はお寿司食べちゃったんですけどね。何となくですがしゃがむのが楽になったような気がします。これをひたすら続けウォーキングをやり鍛えて目指せシックスパックって感じ

■もともといつも履いていたデニムがきつくなりしゃがんだときに疲れたりしていたのもありダイエットを決意しました。夜食べないのめちゃめちゃきつい。ジュースも抜いてる。ああモンスターが恋しい。ではまた

お医者さんよありがたう

■もう終わってしまったけれど、さいたま市がこんな取り組みを行った。
さいたま市/(令和2年6月11日記者発表)さいたま市から医療従事者に対する謝意の表明 Clap for Carers ~10万人の子どもたちから「ありがとう」の拍手を届けます~

■まあ、端的に言って気持ち悪いよ。計画した市教委は「子どもの心を育てる意義深い教育活動」と話していて、「生活を支えてくれている人々への理解を深め尊敬や感謝の念をもつことができるようにする」ためのものと説明、「拍手前後の指導を含め全体で一つの教育活動だ」と答えたそうだけど(朝日新聞より)、「兵隊さんよありがたう」と歌わせた時から教育の観念が変わっていないね。感謝や尊敬は内心の自由であって、持つことを強制されるようなものではないし、それをどう表現するかも人それぞれだ。感謝する生徒にはそれをどう表現するか支援すればいいし、批判する生徒にはそれをどう伝えるか考えさせればいい。これは大人が世の中に見せたい子供のパフォーマンスでしかない。関係者は子どもの権利条約を読むこと。大体、学校は原理的に人権抑圧装置であるということを、教育関係者は忘れがちなのだ。
www.asahi.com

■と、さいたま市の子供らが大人の命令で拍手させられている間に、日曜日から餌を食べない猫のもみじさんを動物病院に連れて行った。そして、今度はホルスくんまでもが、餌を食べなくなりだした。これはどうも腰をいわしたらしい。給付金が消えていきます…。