■ぷれいおん・とかちのイベント「これからの居場所」に参加し、富山県高岡市にある「ひとのま」の宮田さんの話しを聞いてきた。七年前に訪問した時の日誌は以下。
hyouryu.hatenablog.jp
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チラシ■訪問した時に聞いた話でも今回の話しでも、中心となるのは宮田さんがこれまで関わってきた人たちとのエピソードだ。一つ一つがフックのあるエピソードで、聞いていて面白いし、不登校・生活困窮・出所者支援などに関わる人たちにはヒントになることもたくさん出てくる。自分がメモを取るとき、自分の考えたことは赤で取るのだが、今回は赤い字の面積がとても多くなった。
■宮田さんと自分の共通点として、不登校をきっかけに人と関わっていくうちに周辺領域との関わりが広がっていくということがある。ただ、長年活動していても不登校領域に留まる人たちもいる。講演を聴いていてその違いが何に由来するのか、見えてきた瞬間があった。それは、活動の原則が単純なものであることだ。ただ、その意味するところを活動の隅々まで徹底させる。宮田さんは「家を借りて開けているだけ」と話していた。漂流教室で言えば「週1回1時間訪問するだけ」ということになるか。それを徹底させるというのは、何かをさせるとかある方向を目指したりはしないということだ。だから、そこで生まれる人との関わりを支援ということも違和感があるようになる。今回の講演タイトル「『支援をしない』と言いながら『支援』を考えてみる」も納得がいく。一方、長年やっていて活動が不登校領域に留まる場合は、原則以外に何かの思いがあり関わりの範囲が限定されるのだろう。その限定は対象者の属性や時間、場所などに現れる。しかし、その方が解決できる課題もある。それを人は「支援」と呼んでいるのではないか。
■単純な原則の徹底は、他者が関わってくる余裕を生み出す。利用する人との間では誰が来てもOKで、活動内容も子供対象に限らなくなる。更に、その徹底は自らの限界を謙虚に受け止めるということに繋がる。出来ることと出来ないことを自覚し、出来ない時にはお互いの得になる方向を目指して対話を重ねる。その余裕もやはり原則がある故に守られる。また、「ひとのま」には、医療や福祉、行政が問題を抱えて相談しに来た人に勝手に紹介するケースがたくさんあるという。勝手に個人の携帯番号を相談者に教えていたというエピソードはひどいものだと思った。ただ、それでもやってきたんだものなと受け入れるのだという。これも原則の徹底だと思う。そうした繋がり方でも、敵を作らないように関わるということを心がけているのだという。この点、漂流教室というかおれには中々難しいところだ。
■色々なエピソードを時に笑いながら時に感心しながら聞いていると、ついついその関わり方は宮田さんだから出来る名人芸のように思えてくる。しかし、至極シンプルな方針を徹底させることで生み出される活動こそが、一見名人芸のような関わり方が生まれる舞台なのだと思う。NPOはミッションが大事だとよく言われるのは、これを指していると思う。ただ、その徹底は中々難しい。ついつい、色々なルールを設定した方が活動のレベルアップに繋がるような気がするが多分そうではない。
■でも、広報宣伝という点では単純な原則は弱い。「ひとのま」の様にそこから生まれる素敵なエピソードをどれだけ出せるか。そこにはプライバシーも関わるので、漂流教室での関わりをバンバン出すのは躊躇してしまう。そもそも、ドラマチックなエピソードよりも何もない時間の方が多いので、描き方も難しい。漂流教室なりの見せ方を考えないとな。話し上手な宮田さんを見ていて、そう思った。
十勝晴れ