漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

オンラインイベントに出たよ

■日曜日、先に書いていたように、エデュコレ Online FESで話しました。
hyouryu.hatenablog.jp

フリースクールオルタナティブスクールなのだけど、このエデュコレの中では80年代に日本で生まれて来た不登校対応の教育機関フリースクールと呼び、サマーヒルに代表されるような新教育運動からの流れを組む教育機関オルタナティブスクールと呼んでいるみたい。まあ、おれの目からすると、80年代に生まれる日本の「フリースクール」が自由な学びと言いつつ不登校対応を活動の中心としていたために、不登校対応を従として学びの自由を主とする教育機関を示すものとして「オルタナティブスクール」という呼び名を必要とした誰かがいるのだろう、と思っているのだけど。この辺の研究はないかしら。ちなみに山田的には学ぶ権利を学びの主体が行使する学校ということでデモクラティックスクールという呼び名が好きよ。

■最初にフリースクール不登校の課題を三人が挙げていきました。藤根さんは、学校外で子供が生きることを「将来悲惨なことになる」/「将来素晴らしくなる」のどちらでもなく語ることはできないか、という問題を出してきました。これがフリースクールと繋がると「将来悲惨なことになる」=フリースクールではなく学校教育を整備せよ、になり、「将来素晴らしくなる」=フリースクール不登校が抱える様々な問題が問われないままになる。山田からは、不登校への対応が漂流教室を始めたころよりはずっと休むこと中心になっているように見えるが、「大変な時期だから休んでいい」のように条件つき休みにしかなっていないことを考えると根っこは同じままなのではないか、フリースクールは名前だけが知られているがそれを利用する数はまったく少ないことを課題として挙げました。中村さんからはフリースクールの運営事情を問題として挙げてもらいました。

■続いて、現在の関りに繋がる過去の経験や思い出ということで、NPO立ち上げの時の話や過去の不登校体験などを語りあいました。藤根さんの抱いた「なんでフリースクールを運営している人はそんなことを始めたんだろう稼ぎも悪い年金も払ってんのかなって思って」という思いから研究を始めたという話は笑えました。実際やっている身としては、始まりは勢いでむしろそれを継続させているのは何か、というところが気になる。おれ、飽きっぽい人だったはずなんだけどな。

■そして、最後にフリースクール不登校のこれからについて。ここでは、塾が母体だったり、出来ることを伸ばしていくような「親受けする」フリースクールが増えている現状、以前から居場所的にやっているところが選ばれなくなり運営は厳しくなるだろうな、という話がありました。それは教育機会確保法が後押しをしていることは間違いありません。経産省の「未来の教室」もそれを後押ししています。

■山田が通して感じた印象としては、フリースクールオルタナティブスクールと不登校を語る時に、とにかく人の変化はコントロールできるものという前提を疑うことなく成長や変化、教育を語っているのだなあというものがありました。そして、この教育を受けると、うちのスクールなら、不登校で家で学ぶなら…結局どれも、その宣伝惹句が目指すような変化が導かれますよ、というのが教育であり、まるでスーパーマーケットにならぶ商品を増やすように選択肢になる素敵な教育を増やすことが教育の多様性であると繋がる感じです。やはり、学ぶ主体としての子供とその権利をベースに、今一度各人の考える教育を点検する必要があるんじゃなかろうかねえ。(火曜日)