漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

明るい不登校

■血を吐きつつも本は買った。『明るい不登校: 創造性は「学校」外でひらく (NHK出版新書)』。

■2018年の文科省の報告によれば不登校の児童生徒は全国に14万4000人。前年から1万人増で20年ぶりの伸びを見せている。一方、行政の不登校対策は一貫して「学校復帰」を目指す。しかし、不登校は子供の、もしくは家庭の問題なのだろうか。学校という制度と子供とのミスマッチととらえるべきではないだろうか。義務教育の「義務」は子供に課せられた義務ではない。子供が持つのは「教育を受ける権利」であり、大人がその権利を保障する義務を負う。自分にあった学びの場があれば、子供たちは元気を取り戻す。従来のように学校教育一本でいくのではなく、子供にあわせたさまざまな学び場を用意するのが望ましい。最近になってようやく「多様な学びの場」を認める土壌が生まれた。各地のフリースクールシュタイナー教育、インターナショナルスクール、ホームエデュケーション、教育課程特別校などにその萌芽が見られる。と、大きくまとめればこのような内容。「子ども主体の教育」の内容と進路については、東京シューレ葛飾シューレ中学にそれぞれ一章ずつ割いている。あとは不登校Q&A。

■タイトルの由来は「はじめに」で述べられている。奥地さん自身、子供が学校へ行かなくなった時期はいわば「トンネルの中の日々」であり「真っ暗」な状態だったという。だが、フリースクールで明るくなっていく子を何人も見て、不登校がネガティブに映るのは学校中心の価値観にとらわれた親の思い込みでしかないと気づく。学校が合わない子にとっては、そこから離れることが明るくなる第一歩であり、学校以外の「多様な学びの場」があると知れば本当に明るくなる。

子ども達の将来の可能性が不登校を通じて生まれ、それらが豊かに花開いている事実をふまえ、従来のネガティブなイメージではなく、実態を反映すると思われる「明るい」という言葉を、不登校と組み合わせることにしたのです(p.4)

■2ページ程度の文なのだが、わかりづらくて何度か読み返した。フリースクール、フリースペースで子供らがぐいぐいと明るくなっていく様子は俺も見ている。そういうことはあるだろう。でも、それって「明るい」「不登校」なんだろうか。「明るいフリースクール生活」が妥当、あるいは「明るい登校」「明るい学校生活」、せいぜい「明るい学びの場」だろう。

■その「明るい」だが本文中に、

「明るい不登校」とは「不登校とは明るいものでなければならない」とか「暗くあってはならない」という規範的な意味で言っているわけではありません(p.4-5)

と断りがある。「明るい」のは実態で、価値観ではないというわけだ。だが、「トンネルの中」だった奥地さんが考えをあらためたのは「明るくなった」子供たちを見たからだ。ここでは「明るくなる」ことは正の変化として示されている。子供が明るいからこそ、親の悩みも「思い込み」として処理できる。なにより「ここへ来て、明るくなれました」という子供のせりふを「自己肯定の言葉」と書いておいて、「暗くあってはならないという意味ではない」と言っても、それはさすがに通らない。

■ここの構造はちょっと変わっていて、暗かったのは保護者(奥地さん)なのに、「明るくなった」のはフリースクールに来ている子供、そして「自己肯定」するのも子供となっている。いきなり対象がずれるせいで文章がわかりづらい。

■多様な子供たちをひとつの教育制度でまかなおうとすることにそもそもの問題がある。これは制度の不備であり、個々にあった学びの場を選べれば、子供たちは元気にそこに通う。「未来の学校」にも通じる理屈だが、これ自体は地域差などの課題はありつつも理解できる。だが、この理屈を不登校に結びつけると、とたんにおかしくなる。「学校に行きたくない」と「多様な教育のどれかを選ぶ」は一直線につながってはいない、「休み」が「学び」の文脈で回収されると何度も書いた。

■親と子のずれ。「休み」と「学び」のねじれ。これらはそのまま教育機会確保法や個別学習計画案に引き継がれている。もしかすると奥地さんは、親としての葛藤を、フリースクールを始めることで解決したのかもしれない。だから、不登校が学校以外の学びにダイレクトにつながってしまうのではないか。読み終えてそんな想像をした。

(あと、ほんとくだらないんだけど、副題の「創造性は『学校』外でひらく」に「圭子の夢は夜ひらく」を思い出したり。奥地さんも圭子だしさ。15、16、17と私の人生暗かった、だしさ)