漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

「で」と「の」

■5月12日の日誌で「女の子の(命がけの)成長を描いた作品ってなんなんだろう」と書いたところ、読者の方から葉書で感想をいただいた。作品も挙げてあって、そうか、それがあったかと納得。ありがとうございます。今後ともごひいきに。
hyouryu.hatenablog.jp

■個別学習計画について相変わらずうだうだ考えている。前の日誌では「すでにシュタイナー学校など、どこかのオルタナティブスクールに通っているが、正規の学校と認められないので不登校扱いになっている子供。または、学校での勉強のほかに学びたいことがあって、自分でどんどん進めている子供。そのようなケースには受け入れられるかもしれない」なんて書いたが、どうかな。ホームスクールやフリースクール「で」学ぶことがOKになっただけで、ホームスクールやフリースクール「の」学びが認められたわけじゃないよね。学校教育法下にあるわけだし。

■もちろん、あの10項目を逆手にとっていかに好きなことをしてみせるかが腕の見せどころではあるんだけど、そんなこと家庭にも団体にも要求できないでしょう。クラスジャパンはきっとクラスジャパン「の」学びとは言わない。クラスジャパン「で」学ぶと言うんじゃないかな。

■最初は「で」でもいい。小さく生んで大きく育てるという声が今回も上がるだろう。だが、それは難しい。札幌市のフリースクール補助はだんだん運用範囲が狭まっている。いや、「狭まっている」というのはこちらの感覚で、正確には、条文に沿った運用となってきている。。条文に書かれたことがすべて。書かれていないものはできない。はじめは事情を知る人たちが少々弾力的な運用をしてくれるかもしれない。でも三年後は、五年後はどうだろう。

■そんな教室ののれん分け程度の利益で個別学習計画を受け入れるのは割に合わないと思うけど、それはあくまで「の」の学びにこだわる場合。「で」でかまわないなら、むしろ教室ののれんは金を払ってもほしかろう。だって簡単に「学校」になれちゃうんだもの。

■まあ、好きなところ「で」学ぶのが当たり前になったら、内容までいちいち問われないんじゃないかと夢想したりもするけれど、それは不登校にからめてやることではないね。