◾7/31と8/1は第10回日本フリースクール大会に出席。教育機会確保法が成立してから初めてのJDECで、フリースクールが今後どのような方向で進もうとしているのか、見聞きし考えるために来てみた。北海道から行ったのがおれだけだったのは寂しい限り。
◾基調講演は荻上チキ氏による「ストップいじめ!〜いじめや自殺を具体的に無くしていく方法とは〜」という話だった。振り返ると今回のJDECではそこここで、子供の自殺といじめの話が出てきていた。論の組み立てとしては、いじめや自殺はフリースクールのように多様な学び場では起こらない、それを可能にするのは教育機会確保法だという流れで語る人が、たくさんいた。これは今後のフリースクールが武器にする論理の一つになるのだろう。
◾しかし、荻上チキ氏の話はこの武器を支えるものには思えなかった。話した内容は、
・いじめもそれによる自殺も極端な例を挙げているのであって、メディアが事実と異なるイメージを広めていること(例えば、いじめの件数は長いスパンで見るとは減っているのに増えているように報道することや暴力よりもコミュニケーション操作型のいじめが多いこと)
・エビデンスに基づいて対策を考えることが重要であること(例えば、学校にいじめを話しても解決に至らないというイメージが特に当事者にはあるが、実は教師に訴えた6〜7割が改善していることやコミュニケーションを生徒や教師がきちんと取れて、抑圧が少ないほどいじめが少ないこと)などであった。そして、具体的にはクラスにいる教師を二人以上に増やして、コミュニケーションがしっかりとれる環境を作るべきだという。これらは社会を変えるための提言として、とても説得力があり実践することができたり検討に値する話だった。
◾一方で、フリースクールの論はどうか。子供の自殺は無くなる方がいいのは当然だし、無くすためにフリースクールができることを考え実践するのも異論はない。しかし、それが教育機会確保法の休養の必要性を認めた文言を根拠に辛ければ休もう、フリースクールで学ぶこともできるよというだけなら、辛い環境をどう変えるかは置いてけぼりで、社会変革には結びつかない。もっと言えば、法律ができたことで社会が変わるのだと語っても、実は自己責任を固定化するかもしれないという矛盾がある。
◾どうも教育機会確保法が出来たことそのものをもって「社会が変わった」と考えたい向きは、この法律を自分の希望を際限なく乗せることができるバスのようなものと思ってるのではないか。この浮き足だった感覚は、その後の分科会やミーティングでも感じられた。続きに書く。
◾ちなみに、シンタの集いの日誌に書いた「マイクロスクール」は、障害などに個別対応できる場をどう作るかという会場からの質問に、荻上氏が答えた中に出てきた。学校に行ってない極少人数で集まり、その人たちが望む教育を家などで行う。その学びのグループをネットワークにすると、自分たちが出来なくても繋がっているグループで教育できるだろうというもの。もっとも、ネットで検索すると少人数といっても25人とかなのだが。荻上氏は一桁程度でグループを作るように話していたので、漂流教室が最初に考えていた形にかなり近い。もしかすると今なら可能かもしれない。クラウドファンディングで金を集めて、キャンピングカーを用意してグループを巡回するとかね。(火曜夜)