漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ないもの・嫌いなもの

■「本格的」は子供らの形容。昨日のカレーも材料を全部耐熱容器に入れ、電子レンジで数分加熱の簡単料理。簡単だが、炒めてないからこくがないし、肉に下味をつけてないから旨味も足りない。手間をかけるにはかけるなりの理由があって、知って手間を省くのと知らずに省くのでは同じようでずいぶん違う。かける手間が"ない"わけではない。かけてない手間が"ある"のだ。「世の中はないものから成る」とは山本夏彦の至言。

■手間の理由を知っていれば、時間と余力に応じて味をアップすることも出来る。とりあえず極限まで手を抜いて、そこから一つずつ加えていくのも面白そうだ。

山本夏彦と並べるのもなんだが、俺は高校くらいから、「自己とは嫌いなものから成る」と思っている。周囲と自己を分かつのがアイデンティティーなら、その境界線は、ここから先は侵入させない/させたくないという意識だろう。嫌いなもの、受け入れがたいものが自分の輪郭を作る。

■注意して聞くと分かるが、多く人は、「好きなもの」を語っているようで実は「嫌いなもの」を語っている。ゲーム好きなんです。でもRPGは苦手。ガンダム好きなんだ。でもSEEDは違う。先ず子供らに「好きなもの」を訊くが、意識は彼らの「嫌いなもの」にある。どこまで踏み込めるか。その限界を探っている。

■ところがたまに、純粋に好きなものだけを語れる人がいて、そういう人の話を聞くのはとても楽しい。子供ならまだしも、大人で嫌いなもの(好きの形を借りても含む)ばかり延々語る人は鬱陶しい。俺もそうしたいなと思いながら、これがなかなか難しいのよ。


■朝から雨。湿度が高く、山肌からまるで山火事かと見まごうくらい水蒸気が上がっていた。訪問は1件。明日は引越しパーティー