漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

食事がらみの一日と懇談会の事

■用事があったので、漂着教室に朝から。午前中、子供と東急ハンズにて買い物。カクテルを作る練習をしてみたいとのことで、シェーカーなどのセットを買う。帰り道、暑いのでパインの氷菓を食べつつ歩いた。昼ご飯は相馬氏の手抜きカレー。ただし、昨日と制作方法は違う。うまかった。午後、運動。キャッチボールやバドミントンなど。途中、夕刻より外のグラウンドでは近隣の子供ら向けのキャンプが始まることを、最近、グラウンドで遊んでいて知り合いになった子供らに教えてもらう。彼らは卓球をしにきたりもしている。こうやって少しずつ仲良くなっていくうちに、繋がるかもね。夜、スタッフの高橋さんが花火を見に来る。八時で篠村くんの迎えに行き、戻ってきたら花火は終わっていた。ちょい残念。三人で夕飯を食べて帰る。

■問い合わせ一件。以前説明訪問に行ったところからも連絡。そして明日は説明訪問。夏休みだというのに、連絡は止まない。

■ぼくの料理は本格的ということになっているらしい。結構手を抜いているつもりなんだけどね。

■市教委と民間団体の懇談の話し。参加団体は漂流教室以外に

  • 札幌自由が丘学園
  • 北海道自由が丘学園
  • フリースクールそら
  • どろんこクラブ
  • 札幌VO
  • 訪問・外出サポートドルフィン

の7団体。前回より増えた。市教委からは指導室指導担当の係長二名と課長一名。

■課長の挨拶の後、不登校児童生徒の状況についての話しがあった。平成19年度(昨年)の不登校児童生徒数は、来週頭でないと公表できないので実数は出されなかったが、全体としては増加しているとのこと。因みに平成18年度は小中合計で1555人であるので、増加しているということは1600人前後になっているということだろう。スクールカウンセラーを入れたので減少しました、と分析していた平成17年度以降増加の一途を辿っているわけで、不登校児童生徒数の減少の方策としてのスクールカウンセラー全校配置には、効果無しという評価を出してもいいのではないだろうか。また、文科省からはスクールソーシャルワーカーの配置を指導されているので、札幌市教委も二名のスクールソーシャルワーカーを雇用したとのこと。これは公募ではなく、スクールソーシャルワーカーの協会に持ちかけて推薦してもらったという。二名でどれほどのことができるかは疑問だが、とりあえず試験的にということだろうか。後、二学期に入ってから、いくつかの施設を担当者が見学に回るそうだ。連携の一環ということなのかな。

スクールカウンセラーについて、全員の失笑を呼んだ小話を一つ。障害を考慮して子供の指導に配慮してもらいたいと、ある保護者が学校に相談に行った。最初に話しをしにいったのはスクールカウンセラーで、彼曰く「私が何を言っても、先生方にそれを望むのは無理です」と。スクールカウンセラーなら話しをわかってくれるはずだと思っていた保護者は憤慨した。次に、新卒ということであまり期待していない担任に話しをしにいった。曰く「わからないこともたくさんありますが、できるだけのことをします」と。実際、夏休みまで過ごしている子供の様子を見ると、学校では部活を中心に楽しんで過ごすことができている。思うにこのスクールカウンセラーは、教師と親の間で調整をすることにもう疲れ果ててしまったのだろう。連携を促し、関係調整の原動力であることを求められているスクールカウンセラーがこのざまでも、教師と親は連携を取れるのだ。それは「連携をしよう」というお題目を忠実に守る精神に基づくものではなく、双方がその必要を実感して動こうとすること、そしてそれをバックアップしてもらえる環境があるからだ。

■次いで各施設の現状報告の後、「市教委、学校等とフリースクールの連携・支援の在り方」という協議に入った。今回、フリースクールは保護者から市教委に対して望むことをまとめ、渡した。その中にあるのは、不登校の児童生徒に対する扱いの向上のみならず、フリースクール、学校の先生への支援を市教委に求めるものだった。そして、フリースクール側からは支援の中身についてどういうことができるのかという話しを進めていきたいという思いがあった。しかし、市教委が考えていた協議の内容は、そうしたものにはほど遠いものだった。彼らとしては、フリースクールがどのように学校や教師と実際付き合っているのかという実例を話し合えれば良いと思っていたようだ。何故なら、終了後にぼくが漂着教室に先生がその日来ている話しをした時に「そういう話しを協議で出してもらいたかったんです」と言われたからだ。ことほど左様に思いは違うので、結局いつもの通り、連携とはどのようなものであるかという前提から一致させなくてはならないのだ。

■例えば、フリースクール側からは担任に来訪してもらいたいという話しをする。子供を複眼的に見ることや進路関係の仕事を進めるために、それは必要なことだ。そうすると、市教委は「生徒がフリースクールを利用している時は、そこと連携するように言っているのですがうまく行かないことも多々ある。なので、フリースクールからも言ってやってください」ということを述べてくる。そんなことはもうやっているし、先生が来た時には話しもする。個々の学校との連携は、行える分については行っているフリースクールがほとんどだし、学校側もそれに答えてくれるところがほとんどだ。我々が市教委に求める連携は、市教委が我々と学校の連携をよりしやすくするためにどう働くかなのだ。現場の教師の自助努力と才覚に任せている上記のようなセリフは、連携を実際に進める上において意味がない。市教委がやらなくてはならないのは、その場合に教師と我々をつなぎ、話し合えるように環境を整えることだろう。モデルは福祉のやり方になるはずだ。

■もっとすぐできる連携としては、以前からうちが言っていることがある。例えば、訪問について教師の研修をするような機会があるなら、数も期間もこなしている漂流教室のスタッフを講師に呼んでみるとかは考えないのか。或いは又、不登校児童生徒のために教科学習のカリキュラムを考えるなら、自由が丘学園と共同で研究するくらいのことはできないのか。普通教室と特別支援教室の交流の時のノウハウを、どろんこクラブに聞くようなことはどうだ。保護者の方々と先生との付き合い方について、フリースクールそらの事例を見てみることは、きっと有用なはずだ。こんな具合に、フリースクールとの連携ですぐに効果が上がりそうなのは、フリースクールが得意にしていることを見聞きすることではないか。

■さて、今年は更に二回、懇談会は予定されている。今度はどうなるか。ぼくとしては、三月にやった、必要な人への情報伝達の話しが今回はできなかったので、次回はそれを是非したいのだが。