■7/7(土)、「子どもを追い込む"見えざる手" 『いじめ』から我が子を守れるか?」と題した内田良子氏の講演会に行ってきた。主催は江別登校拒否と教育を考える会「もぐらの会」。
■統計に依れば、いじめが理由の不登校は全体の1/3に上るという。子供は必死のサインを出しているが、親も教師もなかなか子供の立場には立てず、なんとか学校に戻そうとしてしまう。加えて、数値目標を掲げての登校圧力も強まっている。そんな中、自殺に追い込まれる子が出る。子供の人生、生命は家庭が守らねばならない。学校を休むことは子供の命の非常口を開けておくこと。退路を用意しておくことが重要だ。これが講演の骨子。大阪でいじめを苦に自殺した中学生や、そのほか多くのいじめの事例を引き、学校を休むことを親が認めてくれたおかげで「傷」が浅く済んだ、という子供の作文を引いての話だった。
■会社には有給休暇という制度が認められていたりする。だったら学校にもあっていいじゃないか。不登校の定義は年間30日以上の欠席なので、1年に29日までは好きに休んでいいようにする。年間1/3までは休めると年度初めにガイダンスする高校もあって、生徒はみな計算して出席している。仕組として休めることを保障しよう、という主張は面白いと思った。それが出来たら、楽になる子はずいぶんいるだろう。
■一方、不登校の子供は心豊かに過ごしている。テストを受けていないが考える力は育っている。悩んでいる子は抽象思考力が育っている、という論にはやや首をかしげる。そう簡単に括ってしまっていいものか。いわゆる「学力」への心配を払拭したかったのだと思うが、数学は1ヵ月でマスター出来るとか、英語は半年あれば充分とか、かえって学力へのこだわりを強調してしまった感がある。学校以外に学ぶ場所はあるし、それは増やしていける、という意見には賛成。退職した団塊の世代など地域住民による「学びのサポーター」「学びのコミュニティ」は、どうかなあ。いまいちピンと来ない。
■以下、メモから適当に。
■子育てには流行がある。うつぶせ寝を推奨している時代があって、いつの間にか仰向けに寝せるのが主流になった。不登校は親の責任という時代があって、それが「誰にでも起こり得ること」になって、最近はまた親の責任になっている。その度「専門家」なるものが現れて、もっともらしい言説を唱える。
■長崎で少年少女による事件が相次いだ。当時、平行して児童生徒の自殺も相次いでいた。教員の自殺も1件あった。再発を防ぐためには問題を明らかにすることが必要だが、このときはカウンセラーが派遣され、"個別に"教員の「心のケア」にあたった。結果、個人の問題に矮小化されてしまい、長崎では教員同士の話し合いは行われなかった。
■1980年代、登校拒否は親の育て方が悪いとされ、教育行政の理解もなかった。中学卒業後の選択肢もほとんどなかった。それが1992年「不登校はどの子にも起こり得る」という文部省の通達で、親の責任が取り除かれた。通達以前は親子ともども傷ついたが、共通の立場にいれた分、かえって「回復」は早かった。それが親は悪くないとなったときから、親はせめて高校へと望み、要望は教育行政に取り入れられ、親子の立場が分断した結果、実は子供の「回復」は遅くなった。現在、高校の不登校が増えているのはその現れだ。
■ときに話がアジテーションぽくなる場面があったのが残念なところ。特に医療関係に顕著で、整理しないまま記しては誤解を生む恐れがある。なので、発達障害について語った部分は今は触れない。最後に、これが要と捉えたことを列記する。
- 子供が学校を休むことを保障する
- 子供には「時間」が必要
- 教員と連帯を
- 経験と実感を元に話し合う
■この逆を行くと、演題にある「子どもを追い込む"見えざる手"」になる(多分)。特に後ろ2つは大事で、「こんな学校がある」「こんな教師がいる」とあげつらうのは、結局排除の理屈にしかならない。自分と違うヤツらがいる、と特別視するのではなく、彼らと何が出来るか考えること。そのとき基盤になるのは、個人の経験と実感だ。
■いじめのような一見善悪のはっきりした話は、えてして悪玉をこき下ろすだけで、自身は無関係な立場においたまま終わってしまう。自分は違うと特別扱いすれば、経験にはならない。無関係と思えば実感もわかない。それじゃ一般論から外に出ない。自分は違うと思わないこと、自身を無関係にさせないこと。「『いじめ』から我が子を守れるか?」の答はその辺にあると踏んでいる。
※こちら(↓)でも講演の内容が紹介されています