漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

アレのアレ

阪神タイガース日本一! やったぜ! 1935年創設で日本一が2回って少なすぎるだろと思うが、まあいいさ。その2回を両方経験したからな。

■38年前の優勝時は中学2年生でしたよ。学校のテレビを勝手につけて優勝の瞬間を見た記憶があるが、調べたら土曜日だったのでほかの試合と間違ってるかも。

■いろいろ書きたいことがあったんだけど、これから祝杯挙げるので後回し。さようなら。

(以下、11月6日追記)

■『あかね色の空を見たよ』という本がある。自身の不登校体験を書いた詩画集で映画にもなった。最近はすっかり聞かないが、かつては不登校界隈でかなり読まれた本で、ここから名前を取った親の会もあったくらいだ。今回、「江別登校拒否と不登校を考えるもぐらの会」主催の内田良子さんの講演会でひさしぶりにその名を聞いた。

学校行けなくて苦しい
学校行きたくなくて苦しい
学校行って苦しい
学校に来た私を見て
よかったよかった
先生なにがよかったの
父さんなにがよかったの
母さんなにがよかったの

支援機関は増えた。キャンペーンも増えた。「回復」までの段階表が示され、「適切な対応」がまことしやかに語られる。だが、この詩に描かれた状況からなにか変わったろうか。対策ばかり目立って人が見えない。このような状態を内田さんは「ホワイトアウト」と評した。

■内田さんが不登校にかかわって50年経つ。講演も歴史の授業の風合いがある。1980年代のいじめ事件から説き起こし、学校が子供にとっていかに危険な場所になり得るかを多くの事例をもとに説明する。「不登校は命の非常口」との内田さんの主張は以前からずっと変わらない。

■好き嫌いで言えば、内田さんの話は好きではない。生死にかかわる例ばかり挙げるのは一種のショック療法ではないか。一方で、それでなければ伝わらないものもあるのかと思う。9月1日に子供自殺が増える。大変だ。なにか対策を。間違いではないが、個々の悩みはここには表れない。多くの事例をまとめれば不登校の段階は示せる。だが、そこまでの本人の、保護者の葛藤は見えない。

■枠を語る概論と個を語る細論は土俵が違う。個別の事例を強調するのも苦手だ。でも、最近、ちょっと枠に偏りすぎでしょうとも思う。枠にはめれば安心できるのかもしれないが、それと学校復帰はなにが違うのか。内田さんの論調に首肯しつつ気になる点もある。

■保護者は子供を保護するから「保護者」なのだと内田さんは言う。それがなぜか学校の味方をする。子供は学校で「良い子」のふりをするが、保護者も学校の「良い子」になろうとする。命と学校とどちらが大事か。休ませなさいとたたみ込む。正論だけれど難しい。かつて不登校は親の育て方のせいだった、それで追い込まれた親子がどれだけいたかと行政を批判するが、内田さんの保護者論も親を追い込まないか。どこかで腹をくくらねばならない瞬間は来るのだが、それにしたって命綱はほしいだろう。親の会の役割はそれか。

■「学校に行きたいけれど行けない」。子供がこう言ったとき大人は「行きたいけれど」をピックアップする。だが、それは但し書きで、主訴は「行けない」にある。こういうわかりやすい喩えをもっと聞きたかった。50年分の蓄積を一気に聞いて、わかった人はどれくらいいたか。まあ、そのためにたくさんの資料を添付したんだろうけど。教育機会確保法について「全国フリースクールネットワーク(ママ)」は「教育再生会議の走狗となりました」と解説する人はいま、なかなかいない。

■下は16年前に聞いた内田さんの講演会の感想。読み比べると「子供にも有給を」「学ぶ場所を増やそう」「教員と連携を」といったテーマが消えた。時間の都合かもしれないのでなんとも言えないが、今回は「とにかく学校を休ませろ」に力点を置いたのではと感じた。

hyouryu.hatenablog.jp