漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

おいおい本気かよ

■伊吹文科相は自分が何を言ってるか分かってるんだろうか。

<教育行政、「不当支配にあたらず」 国会審議で文科相


伊吹文部科学相は22日の参院教育基本法特別委員会で、政府の教育基本法改正案が、教育は「不当な支配」に服することはないと規定していることについて「国会で決められた法律と違うことを、特定のグループ、団体が行う場合を『不当な支配』と言っている」と語った。一方、法律や政令、大臣告示などは「国民の意思として決められた」ことから、「不当な支配」にあたることはないとの考えを強調した。
現行の教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく」と規定。政府の改正案も、この表現を踏襲しつつ、「法律の定めるところにより、行われるべきだ」との規定が追加された。
これまで教職員組合などは「不当な支配」の規定を、教育行政による教育現場への「介入」を阻止する「盾」と位置づけてきた。また、9月の東京地裁判決では、国の学習指導要領に基づき国旗掲揚・国歌斉唱などを強要する都教委の通達や処分が「不当な支配」にあたると判断された。
しかし、伊吹氏は、政府案の規定は、教育に対する「政治結社、イズム(主義)を持っている団体の介入を排除する」目的だと説明。むしろ、一部の政党や組合などによる「介入」を念頭に置いていることを示唆した。
一方、安倍首相は、国旗・国歌について「学校のセレモニーを通じて敬意・尊重の気持ちを育てることは極めて重要だ」と強調。「政治的闘争の一環として国旗掲揚や国歌斉唱が行われないのは問題だ」と批判した。
(11/23 朝日新聞

■教育は政治から離れている方がいい。政治は変化するものだからだ。政権が変わるたび影響を受けていては教育が成り立たない。政治が教育に自由に関与できるようになれば、教育が政争の具となるのは間違いない。「政治的闘争の一環として国旗掲揚や国歌斉唱が行われないのは問題だ」どころじゃない。教育行政の長が、まさに教育を「政治的闘争の一環」にする発言をしてるんだから。現場はいよいよ混乱するだろう。結果、子供にしわよせがいく。それこそ日の丸君が代や「学力低下」問題と同じく。

■お目出度い性格なのか、文科相はご自身の都合にしか思いが至らないようだが、全く別の事態だって起き得る。極端な話をすれば、とある宗教団体が政権をとり、そこの教義を学校で教えるよう定めたとしたら。それでも「国民の意思として決められた」とノホホンとしていられるのか。そりゃ、そんなことになる恐れは少ない。だが、万が一そうなっても対抗できるよう「理念」というものはあるのだ。対抗どころか、これじゃまるっきり無防備じゃないか。理念を失ったツケはいつか自分たちに回ってくる。

■ついでにもうひとつ。教育基本法改正案の「教育」には、「家庭教育」や「社会教育」も含まれる。フリースクールも安泰ではない。「学校・家庭及び地域住民の相互の連携協力」との条項がある。そして、「国会で決められた法律と違うことを、特定のグループ、団体が行う」ことは、教育への「不当な支配」にあたるかもしれないのだ。一方、教育行政は「国民の意思として決められた」ので、「不当な支配」にならない。後は推して知るべし。


本日の脳内BGM:暴いておやりドルバッキー(筋肉少女帯