■8月6日は北海道文教大で「教育方法論」のゲスト講義、7日は教育科学研究会全国大会で実践発表だった。どちらも漂流教室の紹介からスタート。カリキュラムも意義も目的もあれもこれも「ない」活動だと話し、そこに至る経緯を説明する。自分の思考の変遷がそのまま不登校の見方の変化につながる。
■しかし、そういったなにもしない活動は文科省の方針とは相性が悪い。「誰ひとり取り残さない」文科省の姿勢は、子供の「NO」を選択にすり替え、そう言わせないように囲い込む。気づけば自身の心身を自身で観察し、「不登校にならないよう」管理するまでに至る。まったく気持ち悪いが、自立を是とする規範意識は自分にも強くあり、どうしたものか困る。
■文教大では常野雄次郎さんの言葉など、普段意識して考えるようにしている言葉をいくつか並べた。教科研では子供は社会のすきまで生きるもので、すきまを埋めると子供も埋まると話した。現在の到達点を伝え、今後の行き先を悩んでいる、要は漂流しているのだという報告で、とても教育方法や実践とはいえないが、そんな話しかできないのでしかたない。
■教科研でのレポートでは、ひさしぶりに学校のすごさに感心したり。設備があって人がいるってのは強いね。やろうと思えばなんでもできるんだよ。
■ある中学校のPTAが不登校について情報誌を出すそうで取材に来た。学校内外の支援情報や親の会の情報、不登校体験談などを載せるらしい。これはよその学校でもほしい人が多いんじゃないかな。でも印刷、配布にはお金がかかるし、行政で負担できないかしら。そしてネットワークのQ&A改訂案を考えねば。ほかにもいろんな人が出たり入ったり、スタッフ含め12名が来た漂着でした。