漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

変わったのか変わってないのか

■2001年2月、当時の文科大臣だった町村信孝が、自由のはき違えや子どもの権利の行き過ぎが不登校を生むと発言し、批判された。まだ漂流教室を始める前で、どれほど騒ぎになったか覚えていないのだが、文科省のサイトに残る大臣のコメントを見るに、複数の新聞が取り上げたようだ。不登校新聞社が緊急集会を開いたほか、いくつかの団体が抗議文を送った。

■ひるがえって現在。「フリースクールは国家の根幹を崩しかねない」「不登校になる大半の責任は親に」といった滋賀県東近江市・小椋市長の発言に批判の声が上がっている。発言撤回を求めるオンラインの抗議署名も始まった。発言詳細はこのnoteにある。「不登校になる大半の責任は親に」は会議後に出た発言とのこと。
note.com

■「学びたいと思ったときに学べるでは子供のわがままを認めることになる」「義務教育とはいやがる子ども押しつけてでも勉強しなさいという世界」といったあたりは、町村信孝の「自己統制力無き自由や権利の主張は、好きなことだけをさせ、気に入らないことはやらなくてもよいという結果をもたらせてしまう」とおなじだ。「イヤなことを我慢させるのが教育」なる価値観は為政者に抜きがたくあるのだろう。だが、おそらくもう世論はそこにはいない。

■でも、と思う。町村発言のほかの部分。「心の悩みはスクールカウンセラーへ」「授業がわからない場合は、個別指導、少人数指導、IT教育の活用によるオーダーメイドの学習を」はいまも不登校対策の中心にある。いじめた生徒への出席停止措置は2021年のアンケートで保護者の6割が賛成している。

■実は状況はそんなに変わっていないのかもしれない。町村信孝や小椋市長は一条校しか念頭になくて批判を浴びた。だが、不登校を隠し、「多様な学び」を前面に掲げたらどうだったか。子供は勉強せねばならない。そのために多様な学びを用意した。それでも学ばないのは子供のわがままだ。そういう理屈にどう対抗するか。そのような子供になったのは家庭の責任だと言われて、小椋市長へのように強く反論できるか。「もう世論はそこにはない」と書いたが、案外ころっと風向きは変わりそうな気もする。

■「多様な学び」も選択肢も支援もいいけれど、「いまはイヤだ」「イヤなのでイヤだ」は認められているのかな。それがないと、学校教育に対抗しているつもりが、いつの間にか保護者が教育の責任を負わされ、子供を「多様な学び」に追い立てる役をやらされちゃうのではと不安になるのだ。なんともうまく説明できないが。

■そういや東近江市は、保護者がフリースクール利用補助を求めて8300筆の署名を提出し、議会でも請願書が採択されたばかりだそうで、自分の主義と違う流れが我慢できなくてあの発言になっちゃったのかしらなんて思ったり。