漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

教科研で話した週

■今週は教育科学研究集会から初めて声がかかったので発表してきた。よく似た構成の合同教研には毎年行っていて、今回呼ばれた「青年期の教育」という分科会は合同教研でも同タイトルの分科会に結構長い間参加していた。こうした研究集会で青年期というと高校以降という話になるようだが、自分は漂流教室での話しかできない。こちらサイドから見た不登校・ひきこもり以外の側面について話ができる場として参加した。この分科会の源流は、昔々の勤労青年と学生青年という区分に始まるようだから、学生では無い青年との関わりを話せるということでは良かったのではないか。

■報告者は自分も入れて三名だった。一つは、全国の学校統廃合について教職員組合の人からの報告だった。平成の大合併以後、合併したからといって人口が減るわけでもないのに、一つの街に一つずつの小中学校に統廃合していく自治体が増えている。自分が関わっている後志でもそうだなと思って聞いていた。高校の統廃合は、北海道のように町立・村立学校にするケースや京都の学舎制(学校としては一つ、校舎は複数にしてそれぞれを〇〇学舎とする)のような工夫をしていたり、高校生自身が統廃合について語る機会を設けている自治体があったりする。一方で、埼玉では統廃合の結果、全校生徒が3000人以上になっている学校が出来たりしている。

■もう一つは北海道のへき地高校で、生徒が自治活動に対してどのように主体的に関わるようになったかを報告していた。この教師は20代の若手で、大学院では社会教育について学んでいたという。同期が企業に就職していく中、教育現場に入ってみようと考えたという。教師になってすぐコロナ禍が始まり、行事をしたい生徒とそれを止める学校の間で生徒が自治の感覚を失っていくのを経験した彼は、その後校則に対する見直しが全国的に始まったのをきっかけに、生徒が校則改革に向かって動くように指導をしていった。生徒と教師集団の関係性が対立ではなく、生徒を認める教師/教師に対して、また自分たちの中で対話を重ねる生徒という発展をしていったのが面白かった。

■さて自分は漂流教室の実践から気付いたことを発表することにした。漂流教室の活動にはいくつかの形がある。指導的・指示的に関わらない/年限がない/週一回一時間/不登校をスタート地点として関わる、それぞれの形にどういう意味があるのか、関わり方に何をもたらしているのかについて振り返ってみた。

漂流教室と利用者の関わりは不登校がスタート地点になることが多いので、学齢期の人たちとの関わりが中心になる。それが時間の経過と共に高校生になったり高校年齢で所属が無い人との関わりになっていく。そして、高校年齢も過ぎて大学等の進学や就職といった課題に向き合う人たちと関わる。まずこの、年限の無い関わりというのが、「成長」についての概念を変えることに繋がっている。「成長」という語には、社会的に決められたある期間に設定された知識・能力を獲得するようになるという意味が込められてしまっている。漂流教室での関わりは、「成長」をまず人の変化として捉える。物差しを当てて伸びているか測るということはない。それは社会がやってくれることだから、こちらはそうした圧力の中で漂流する人と共にいるという関わりになる。辛いなあという時には助けることもあるし、一人でやっている人に毎週会うだけのことも多い。

■毎週一回1時間の訪問というのも、実はきちんと意味がある。週一回というのは、起こった出来事を忘れることが出来る空白を生む。ある日の訪問で何かギクシャクしたようなやりとりがあっても、一週間置くと忘れていることがほとんどだ。少なくとも気になる度合いは減る。対人関係を楽に作ることができる時間になるのだ。そして、学習を進めるには基本的には足りない。だから、家庭教師のようにならなくて済む。1時間という訪問時間は、何かをするには短く何もしないでいるのはちょっと長い。だから、なんとなくお話したり散歩程度で終わることも多い。ゲームも子供らがフリースペースでやっているのよりもずっと短い。この訪問が積み重なることでしか出来ない関係性というのが、漂流教室の作る関係性だ。イメージ的には週に一回くらい井戸端会議しに来る近所の人で、これは自分の子供時代にはあったのだけど、伝わるだろうか。

■そして、指導的・指示的にはならない関わり方は、家族・友人・教師といったそれまでに知っている人間関係の型とは違う関係性を構築することに繋がる。何かをしろと命令されることも、何かをしようと誘われることも基本的には無い。これは関わるこちら側の変化が一番求められる点といえる。ついつい、何かを誘ったり話したくなるのを意識的に止める。こちらの欲望を抑制し、相手が自由に振る舞う時間と空間を保障することで作られる関係性が、また漂流教室の作る関係性といえる。

■という話をほぼ教員である参加者にしたのだけど、いくらかでも響いていてもらえればよかった。

■連休初日の土曜日は、訪問が暑いからということで無くなり、夜にホームレスの人たちへの炊き出しボランティアに参加。こちらには、久しぶりに高校生の姪っ子が参加してくれた。終了後、街中で飲み。思ったよりも飲んだよ。(水曜日)