漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

裏側の鏡

■昨夜から大荒れの北海道。起きたら雪で街が埋もれていた。水分が多い雪はほの青く光る。3月に降る雪だなあ、これは。雪の重みで立木が折れたり電線が切れて停電になった地域もあるそうな。道路はがたがた、道幅も狭く、それでもなんとか機能してしまう雪国のタフさよ。

f:id:hyouryu:20201105191505j:plain

■先日の研修の内容。ブラジルは1964年からおよそ20年間、軍事独裁政権下にあった。政権は「ブラジル:愛するか、去るか」とマスメディアを通じて愛国心をあおり、サッカー代表の応援も利用した。また道徳教育を重視し、全教育課程で道徳が教科化された。目的は「ブラジル人としての人格形成及び民主主義的な市民権を完璧に行使できること」で、校内に「学校内公民センター」が設置され、国家の定めた基準に沿った活動をするよう管理した。

■学習基盤となるのは次のみっつの価値観。

  1. 神(カトリック)の道徳観に基づき家族を敬愛し、自由で民主的な社会建設に貢献すること
  2. 祖国の伝統文化を尊重し、愛する心をもち、国家精神の統一を強固すること
  3. 市民としての義務と権利を理解し、法や決まりを忠実に守る公民を教育すること

生徒はこれにそって個人活動やグループ活動を繰り返し、道徳や公民意識を学ぶ。一見、主体的に考えさせ、多角的に議論させているようだが、実際は導くべき答は決まっている。生徒自らが「正解」にたどり着いたように錯覚させ、政府の望む方向へ誘導した。(『義務と権利』といった書き方や、『公民』=『法や決まりを忠実に守る』などそもそも答は見えている)

■また、公民意識の育成につかわれたのが家族で、たとえば小学校では「家族の社会的な役割」についてこのように教える。

きまりが無い社会は混乱を招く。従って、家族で秩序や規律が欠ける場合、
(  ) 良い家族である
(  ) 良い家族ではない
家族は社会の基礎となる。家族生活が充実していると、社会は家族が集まって構成されているため、良好な社会を築くことができる。また、家族生活が充実していなければ、良好な社会を築くことができない。そのため、公正、幸福で平和的な社会を築くために、
(  ) 父母の役割は重要
(  ) 父母の役割は重要ではない

■1988年の大統領選挙を経てブラジルは民主政権に戻る。道徳は社会科の一部となり、かわりに市民権行使の準備として「倫理とシチズンシップ教育」が全教科の柱として位置づけられた。シチズンシップ教育とは「ものごとを批判的に考え、積極的に社会構築に参加して、法やきまりを自分から考案できるような市民育成の教育」を指す。子供が中心となり、教職員や地域住民とともに現実や自分自身の生き方を省察しながら主体的に価値観を構築する。プログラム作成は児童生徒や教職員、地域の多様なメンバーが参画した「学校フォーラム」が担う。

■だが、現場の負担が大きすぎたのか、シチズンシップ教育は思ったほど浸透しなかった。そして、2019年にふたたび右派政権が台頭する。新政権は「倫理とシチズンシップ教育」の名前はそのままに中身を換骨奪胎。「一人がみんなのために、みんなが一人のために!」をスローガンに、個々が自分の役割や義務を果たすのがシチズンシップだと教える。プログラムにマンガやゲーム、デジタルプログラムを多用し、流れるように政府の意図した方向へ導く。利用されるのはやはり家族で、小学校の教材では家庭の一場面をマンガにし、「一人一人が自分の役割を果たすことを学ぶその最初の場所が家族なんだって」と子供のキャラクターに言わせる。

■これといまの日本の状況とを重ねるといろいろ考えるポイントが見えてくる。この日誌でもとりあげた家族教育の推進はどのような意図があるのか。新学習指導要領により高校の「現代社会」が廃止され、新たに「公共」が必修科目として加わった。自身が「公共的な空間」をつくる主体であることを学び、自立した主体として国家・社会の形成に参画、持続可能な社会づくりの主体となることを目的としている。新学習指導要領は「主体的、対話的で深い学び」を求めており、教科書もそれを重視したつくりになっている。一方で、「公共」の内容について「集団の一員としての役割を果たす存在であること」を強調する。

■参画する「社会」を疑う、批判的に見るような内容なのか。それとも、主体的、対話的に授業を進めながら、決まった方向へ誘うものなのか。日本の裏側にあるブラジルが鏡となったようでおもしろい。