漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

不登校支援の話

文部科学省不登校調査研究協力者会議が7月29日に「不登校児童生徒への支援に関する最終報告」をまとめた。これが、相馬の日誌にあった教育委員会の変化にも通じているので、警鐘を鳴らす意味でも書いておきたい。通信に書いたものを加筆。

■第三章「基本的な考え方」で述べられている不登校支援の方向性は「社会的自立に向けて」だ。「自立」という言葉が出てきたのが平成四年の不登校調査研究協力者会議の報告、それが「社会的自立」となるのが平成十五年。この言葉自体は不登校支援の基本として語られるようになっている。今回の報告で、これまでと若干違っているのは「不登校の時期が、いじめによるストレスから回復するための休養時間としての意味や、進路選択を考える上で自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つこともある。しかし、同時に、現実の問題として、不登校による学業の遅れや進路選択上の不利益や社会的自立へのリスクが存在する」と書かれている部分だ。これは、不登校でも社会的自立が達成されれば良い、という不登校に積極的な意味づけをして学校外での教育を学校と対等におく視点から、不登校だと社会的自立が達成されづらい、言い換えると社会的自立は学校教育を受けることが前提となっているのが現実だ、という視点に変わったと見て良いだろう。

■一方で、平成四年以降の学校・民間の様々な実践や調査研究で述べられてきた「学校内外における支援」や「関係機関と連携した支援」についても「社会的自立を支援する観点から」必要なものとして扱われている。前段では学校教育の重要性が増した記述になっているが、そこと矛盾しないために「社会的自立」をまた使うわけだ。つまり、ゴールは一つだけど道は違うね、という論理になる。果たして、その「社会的自立」は同じなのか。

■そしてこの論理は、はっきりと「学校は不登校の子を学校復帰させる方向で動く。それが出来ない児童生徒は学校外の機関と繋がることが大事」という分断の方向に働く。第三章第三項「不登校の理由に応じた働き掛けや関わりの重要性」では「不登校児童生徒が、主体的に社会的自立や学校復帰に向かうよう、周囲の者は、その環境づくりや働き掛けを行うことが必要である」と断言をし、「無気力」「遊び非行」「人間関係」といった類型それぞれについてこうすれば「登校につながる」と三回断言している。これまで、こんなに学校復帰を目指した働きかけ方を明言した報告が出たことはない。

■この調査研究協力者会議と同時期に、フリースクールについての会議も文科省では開かれていたのだが、今回の報告では児童生徒の可能性を伸ばす取り組みの一つとして、平成27年度補正予算でついたモデル事業を継続すべきという話に留まっている。会議を傍聴した人からのメモも読んでみたが、どうもこの学校復帰に回帰する流れを指摘している人はおらず、訪問支援に関する懸念や「不登校」という言葉がスティグマを生んでいるのではないかという話が目立っていた。どこを見ているのだ感満載。

■この報告を元に、全国の不登校対策が再検討された暁には、不登校の数が減ることは一時的にはあると思う。「社会的自立のために」という御旗の下に、かなりの圧力をかけてみる自治体が増えるから。でも、それが一時的なものであるのは、もう40年以上やってきてわかっていることじゃないか。何を今更である。

■報告の中にもあるが学校が全ての児童生徒を対象に教育するという夢想を掲げる限り、不登校が解消されることは原理的に無い。たとえ0になっても、いつ来なくなる子供が出るのかと怯えながら学校教育を行うことになるだろう。最早これは不登校支援でも何でもなく、自分たちの恐怖をどう解消するかの話にしかなっていない。「社会的自立」という言葉が何を指しているのか明らかにし、学校に行かない生き方を選択した場合にそれにどう国家として対応するのか考えるのが、文科省の役割だろう。(火曜日)