漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

正装でなきゃだめかい

■教員採用試験を受けたというボラスタが会場で私服で受験しに来ている人を見て、それでもいいんだと思った、と話してくれた。自分の将来がかかっているところだから、スーツで行かねばならないという考えがあったそうだ。同様にスーツで受験している人が半分以上いたという。受験票にはドレスコードなど書かれていないだろうにここで正装を着なければならないと考えるのが教育の成果であるとすれば、それを受けた教員が再生産されていくことに抵抗を覚える。

■道徳やマナーという形で自由の束縛は起こり、場合によっては差別の構造も生んでいく。試験というのは、試験内容以外でその人を測ることが無いようにデザインされているものだから、着る服の指定は無いわけだ。だのに、受験する人が道徳やマナーという形で「こうあらねばならない」という縛りを形作っていき、それが常識になる。もし、ここに生活困窮世帯に暮らし6月の教員採用試験ではスーツを買っておくことができなかった人がいたならどうだろう。受験上の注意事項には服装のことなど書かれていないのに、マナーや常識が能力と関係の無いところでその人を縛り付ける。

■今回のエピソードは、教育が基本的人権を束縛して行われるものであることに対する、学校や教員の鈍感さに繋がっている気がする。全国各地の校則の基盤にある「中学生らしさ」のような、学校側の意図でいくらでも自由を縛ることのできる構造が良きこととして存在することには気をつけなければならない。昔、長髪禁止の校則を変えるよう中学校にかけあった人が「長髪にすると頭に行く栄養が頭髪に取られるので不可」と学校から言われたと、ついこの間ラジオで聞いた。こんな噴飯ものの理由でいとも簡単に自由を奪って何もおかしくないと感じる元をシステムが再生産している様が、採用試験会場でボラスタが見た光景なのだ。気をつけなきゃあならんよ。(火曜日)