■こんにちは、ボラスタ高橋です。「子どもの今だけじゃなく、今を大切にするからこそ未来まで包括的にサポートします」みたいな文句を見たり聞いたりして、なんか引っかかって、ああ、「未来をサポートするっていう表現がおこがましいと思ったんだ」と気づきました。でもどうしてこの瞬間「おこがましいと思ったのか」がわからない。あれ、自分ってそんな人だったっけ。
■そんなことを思ったので、この漂流日誌の検索ボックスに「未来」と入れて検索すると、札幌の子ども未来局についての話か、「未来の教室」の話が多くて、その後くらいに現在より先という文脈での「未来」が出てきます。自分もそれなりに未来ということばを日誌で使ったようです。そういえば「現在を振りかざして未来を脅す」なんて話もありましたね。もっと遡るとボラスタの方の懐かしい名前が出てきます。今見ても日誌の内容にはっとするので、当時の自分としては相当刺激的でした。みんな発想が柔軟ですよね。そんなこんなで日誌を見返しながらふと全然違うことを思い出しました。あ、そうか不登校だったから、未来のことを安直に語られるのがいやなんだ、って。
■この日誌にも書きましたが、「ゆたぼん」が出てきたとき、自分が不登校当事者として体験談を誰かに伝えても、伝わりきらないことが以前より多くなりそうだとおもいました。自分の体験は自分しかないのでそれはそれなんですが、なんかこう時代の変わり目を感じました。高橋の過去は他の年下の人にしたら未来になることもあるので、慎重にならなければ、と最後は自分を省みることとなりました。