■先週14日に札幌の市民活動団体76団体が合同で秋元市長と長谷川教育長に「新型コロナウイルスの親子への影響に対する支援のお願い」という要望書を手渡した。
漂流教室もその呼びかけ団体の一つとして名を連ねている。市民活動団体は今般のコロナウイルス流行の影響で運営が苦しくなったところもあるし、新たな対応を考え精力的に動いているところもある。苦しんでいる人に支援が行き渡るならそれに越したことはないし、活動している団体として支援があるのもうれしい。ただ、それは多くの人に賛成してもらいやすく、呼びかけて大きな反響を呼び起こすことの出来る、いわば表の動きとして行っています。山田自身は、この裏で「市民活動団体に支援するのもいいけれど、行政が直接動く仕組みを作り職員を増やして金を出せ」ということを考えています。
■まず、今回の要望でも出ている「子育て世帯への臨時給付」や「児童扶養手当の増額」「給付型奨学金の創設」など個人や世帯への直接支援は速やかに大きく行うべきですし、それ以外でも各種の直接支援を様々な市民の訴えを掬いあげて実施する必要があると思います。ただ、そうした支援において、市民活動団体の力を利用することには、ちょっと慎重にならねばならないと思うのです。
■コロナ対応を戦争に喩えることがあります。市民活動はボランティアで行われるのが通例です。ボランティアをその原義通り志願兵としてこの喩えに乗るならば、行政は徴兵し武器や兵站を整え攻撃基地を作らねばなりません。志願兵はその上で働くものです。行政は市民活動が可能な余裕を市民にまず用意するのが本義であり、平時、生活に余裕がある時に出来るのが市民活動です。行政の手が届かない、まだ見えていない、しかし皆にとって必要であろう問題に遊軍的に関わり解決を試行錯誤していくのが市民活動です。今回のような、大きな物量が必要だったり多数の人を動員せねば難しい問題がある時には、市民活動を使うのは間違っています。
■例えば、子ども食堂を支援してほしいという要望があります。平時もそうした支援が無くて四苦八苦していたところが今回更に苦しい状況に陥っている。だから支援を、というのは有りとは思いますが、それがコロナウイルス対策であるとされては、多くの人をカバーできない。ここで必要なのは行政が人も場所も物資も用意して、市民活動が浮かび上がらせている子どもの貧困対策への抜本的な対応になります。子ども食堂やフードバンクの数・職員数と対象となる親子の数を考えた時に、資金補助だけでは全然回らないのは簡単に予想がつくでしょう。既存の団体をつぶさない、という支援だけではダメなのです。提案では「市としての軽食の配布や食事券の発行」が書かれていますが、現有の人でと印刷だけで済む話ではない。軽食を作る人、配布する場所、食事券を使える場所、食事を作る人など、行政が一時的にでも雇用して、実働する部署を用意してほしい。
■また、働く保護者が子供を預ける先の確保やDV等相談窓口の広報についても、既存の団体を支援してほしいという要望はありますが、大事なのは実働する人を行政が増やすことです。全国的な課題として九月入学が取りざたされていますが、九月入学になった場合のあるモデルでは待機児童の増加が見込まれるという話です。また、相談窓口の広報が行われれば当然相談は増えるのですが、なんと今現在「いのちの電話」などの既存の電話相談がコロナウイルス対応で休みになっています。これもまた、行政が担うべき分野を市民活動で行っているがゆえの問題です。市民活動をしようとしても、ボランティアに割く余力が市民に無くなっているわけです。そんなところで広報しても、困ってしまう。
■これらは、財政健全化の流れの中で、子供若者支援を外部委託して行政職員が直接市民と関わる機会を奪い、市民と行政の距離を作ってきたツケが回ってきているとも言えます。「小さな政府」「小さな市役所」は、市民と会って仕事をする職員が少ない政府・市役所です。市民活動団体との協働とは、行政の下請けをしてもらうということではありません。行政は市民活動をモデルにしてその活動をシステムとして取り込むべきですし、市民活動団体はそれを働きかけるべきです。
■自分たちの領域である学習機会の保障などについては全然触れていませんが、まず自分はここが気になっています。その上で、自分たちの領域ではどうなるのか考えねば。要望を受けて札幌市はどのような施策を打ち出してくるのかを見て、それはまた考えよう。「お金出します」はありがたいけど、頼むからそれでおしまいにするのは無しにしてね、と思っています。