漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ドタバタ三昧

■みんなアチコチ行ってきたのね。俺もシルバーウィークは帯広に行ってきました。面倒なので、誰とも連絡を取りませんでした。

■さて、なんだかやたらにバタバタしている。月曜は「とまこまいフリースクール検討委員会」主催の動画配信「生きづラジオ」に出演。残念ながら録画に失敗し、配信を見ていた人だけが知るマボロシの回になってしまったが、検討委員会スタッフの藤井さんがうまくまとめてくれている。

この映像ラジオは「不登校」というキーワードに捉われず、もっと大枠の「生きづらさ」について様々なゲストの皆さんと話をする中で考えていく番組です。今回の2回目でも少し話されましたが、個々人が感じる「生きづらさ」の定義は当然ながら人によって違うだろうと。一方、社会構造の影響によって感じる生きづらさは各人が同じ社会で暮しているわけなので根っこは共通でもある。視点を変えることによって、生きづらさの本質も変わり、その間はグラデーションのようになっている。要するに「生きづらさ」というのは複雑で、簡単に説明できるものではない。そこで、先ほど書いたことに戻りますが、いろんな人に「生きづらさ」を語ってもらうことで、生きづらさという言葉が抱える複雑さを少しずつ解きほぐしてみようという試みがこのラジオです
http://fpt.cma7.net/archives/913

■実は「生きづらさ」ってあまりピンと来ていません。検索するとわかりますが、この日誌でも何かのタイトル以外では使っていません。おそらく、少し前は「困難」とか「課題」と言っていたと思います。ただ、それでは個人の資質に集約される側面が強い。それに「困難」も「課題」も対象がはっきりしています。そうではなく、もっと漠然とした、なんだかいろいろこんがらかった重石のようなもの。もろもろをひっくるめて「生きづらさ」と呼んでいるのかなあ、と。

■ピンと来ないということには、さほど問題を感じていません。漂流教室を始めたときから言っていますが、不登校もひきこもりも、自分のなかにはない文化です。どちらも正直ピンと来ない。でも、自分の内部を掘り進めていくと、どこかつながっているような経験が出てきます。それまでは「そういう人もいるのか」とそのまま受け取っておけばいい。

■「生きづらさ」でいえば、ラジオでも話しましたが、10代から20代のうちはダメな人の描かれた本や映画を好んで見ていました。いま思うとあれは予防だったのかもしれません。なにかうまくいかなかったり大変だったりしたとき、こんな人もいるんだから大丈夫と自分を立て直す。そういうことを無意識に、しかしマメにこなしていたので、「生きづらい」という事態にまで至らなかったのかもしれません。

■ところで札幌の本屋さんへ行くと、こういう(↑)本が並んでいるはずです。中央区のコンビニにもあるはず。年一回発行、中島公園からすすきのまでの極小エリア地域誌「Bocket」の第二号です。昨年に引き続き、エッセイを1ページ書きました。ほかにも面白い記事がたくさんなので、ぜひお買い求めください。札幌以外の方は版元の寿郎社さんで注文できます。『ウレシパ物語』も面白そうなんだよな。
寿郎社http://www.jurousha.com/

■明日は日本臨床心理学会で話をしてきます。そのほか、北大の教職課程でのゲスト講義とペアレントメンター養成講座で話すのと、通信制定時制高校のあつまりで話すのと、あとなんだ。あ、原稿二本だ。年末までドタバタだなこりゃ。でもとりあえず今日は漂流宴会さ。