漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

義務教育の到達点

合唱コンクールが近づいて、中学校のあちこちから歌が聞こえてくる。アンジェラ・アキの「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」はもうすっかり定番曲におさまっている。好きじゃないけど、視線が優しい歌だなと思う。合唱してるのがちょっとうらやましくて、ギターを弾いて歌ってみるけど、ケレン味が強くて俺じゃダメだな。やっぱり中学生が歌うのがいいのでしょう。

■15歳といえば義務教育が終わる年齢。義務教育の到達点ってどこなんだろうか。

■俺の親の言うことはわりに簡単だった。新聞が読めるようになること。中学までの勉強を終えれば、新聞に書いてあることが大体わかるようになる。新聞も読めないようじゃ世の中に出てから苦労する。逆に言えば、新聞さえ読めればそのあとどうにでもなる。へー、とまだ小学生だった相馬少年は思って、じゃあそのうちこれが全部読めるようになるんだと、それからわからないままに新聞を読むようになった。

■いま、「新聞を読めるようになる」を義務教育のゴールにして満足する人は、子供にも保護者にもいないだろう。そんなことは当たり前。もっと高度なことを求めているのじゃないか。でもどうだろう。求めて、あちこちの能力を伸ばした結果、かえって当時の俺より新聞を読めなくなっているように思う。

■新聞を読めること以上の到達点を要求するのは、社会が高度になったからではなく、むしろ脆弱になったからのように俺には思える。新聞を読めるだけの力があれば、あとは世の中が引き受けて一人前の大人にする。その力がなくなったから、学校教育にいろいろ求めているのじゃないか。「子供を大人にする方法」を失った社会のツケが子供にかぶせられている。

■「新聞を読めるようになること」ってシンプルで力強い目標だと思うけどな。そこまでできたらあとはこっちで責任持つよと、そうだなー。まず漂流教室で言えるかどうか。