漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

いつもつむじ曲がり

■北海道フリースクール等ネットワークのアンケートは現時点で立憲民主、公明、共産、維新からの回答はなし。さすがにもう来ないだろう。残念至極。代わりにといってはなんだが、東京都の古リースクールネットワークと不登校新聞がおこなったアンケート結果を載せておく。ここからでも傾向はわかるだろう。
note.com
futoko.publishers.fm

不登校新聞の石井編集長は「不登校した本人を問題視する風潮は終わりかけている。政治の世界では問題認識が変わりつつある」とコメント。その風潮は感じる。だが、それがいいことなのかはわからないと生来のつむじ曲がりが顔をのぞかせる。確かに「なんとしても学校に行かせよう」という意見は減った。しかし、「子供に社会の望む教育をほどこす」圧力は減ったのか。「多様性」という言葉が格差に、または全員をひとつのシステムに取り込む形でつかわれる様子はもう十分に見た。

■公約がらみでおもしろかったのはこの記事。
gendai.ismedia.jp
特に図表がよくて、下図は教育システムが格差是正にはたらかず、むしろ拡大に寄与していることを示す。

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■これ(↓)は政党の公約をレーダーチャートにしたもの。

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この図の「空白地帯」はどの政党も気にかけない、つまり世間の目がほとんど向いていない分野を示す。たとえば「妊産婦・子育て世帯・若者への教育・医療・住宅以外の現金・現物給付(困窮子育て世帯への電気・ガス・水道のライフライン保障・おむつ等現物給付、妊婦手当・若者手当)」や「スポーツ・芸術活動、自然体験活動等の保障」、「受験経費無償化」などが含まれる。人が育つにはいろいろな方向からのいろいろな手当てが必要で、そのくせ、なにを得て育てたか育ってきたかは案外気づかなかったりする。こうやって可視化してくれるのはありがたいし、まだ組み込まれていないものもきっとある。

■しかし、ここでもまたつむじ曲がりが現れる。包括的な政策を実行するため「こども庁」の創設をという流れになるんじゃないか。今回の選挙でも自民党公明党立憲民主党が公約に掲げている(公明は『子ども家庭庁』、立憲民主は『こども省』)。新たな省庁をつくればものごとが解決するのなら、そんな楽な話はない。子どもの権利が守られるのは大事なのだが、権利を守るという体裁で義務を押しつけることにならないか。ゲーム規制だって子供の心身の発達を守る、つまり「育つ権利」を守るためにおこなわれる。

■急にイメージの話になって申し訳ないけれど、こうだったらいいと俺が思い描く世界は、プレイヤーがどっちに向かってもなんとかなるオープンワールドな世の中だ。どういうルートでも生きていける。一方、こども庁に見られる包摂、包括の社会はルートを外れることが許されない感じがする。外れても外れてもマリオカートのように引き戻されるか、あるいは落ちないように高い壁で囲われているか。

■まあ、わかんないけどね。あくまでもイメージの話だし。俺の理想だって、それはそれでさまざまな問題があるんだろうし。ただ、「これがいい!」より「なんかイヤだな」の方があんまり変な方向に進まないという経験則があって、なのでぶつぶつ呟いている。