漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

いろいろ逆だった

■空知は大雪らしい。札幌はきれいに晴れている。明日以降もどうかこのままで。

■『七月の骨』というマンガに、自分の内面を見つめるためには心の感度をぐーっと下げるんだ、というセリフがある。世間は騒がしい。その音をシャットアウトするために感度を下げる。

■学校を休んでいる間も子供らは案外学校のことを忘れていない。むしろ、より強く意識している。体は家にいるが、心は登校している。だから日中を寝て過ごす。ゲームをして強制的に忘れる。「フリースクールには行かない」と言い張る子が多いのは、そこがより強く不登校を、つまり学校を意識させるところだからだ。そこにフリースクールの本質的なねじれがあるのだけれど、一旦置いておく。

■メンタルフレンドは、家にいる子供に世の中の風を運ぶ役割なんだと思っていたけど、違うのかもしれない。むしろ、世の中の風を防ぐために行くのかもしれない。周りはあれこれ言うけども、ふたりで過ごすこの一時間はそんなこと気にしなくていい。騒がしい世間の風を感じずに済む時間。そうやって穏やかな状況が生まれると、自分のことを考える余裕ができる。

■ということは、まずふたりの関係をつくり、複数とかかわる足場をつくるという順番も逆だったんじゃないか。ひとりになるために、まずふたりの状態を用意したんじゃないだろうか。

■訪問が始まると、子供たちはまず手持ちの知識を総動員して相手をもてなす。好きなゲーム、好きな本、好きな番組、好きなネットのページ。あらゆるものを持ち出すが、ストックは数ヶ月で尽きる。話題がなくなって、慣れない状況にとまどい、怒り出す子もいるが、そのまま訪問を続けているとそのうち訪問に向けて一週間のできごとを整理するようになる。

■メンタルフレンドの訪問は一週間に一時間。残り167時間はひとりの時間だ(家族は分化が難しいので除外)。ふたりの時間を持つことで、ひとりの時間を振り返り、過ごし方を考えるきっかけを得る。過去を考えることは未来を考えることに繋がる。訪問がある日突然終わりを迎えるのは、一週間ごとに過去を整理していた目が、自然とその先へ向かうからではないか。先週はこう過ごした。先々週はこうだった。その前はこう。では、来週は? 再来週は? もっと先は? そこにメンタルフレンドの姿以外を見つけたら、訪問は終わる。

■世間の風をさえぎるため訪問し、ひとりになるためふたりで会う。漂流教室を始めて干支が一周したときに、いろいろ逆だったったと分かるのは何か面白い。要項もつくりなおしだな。