漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

「登校」に含まれるもの

■ひとくちに「登校」といっても、そこにはいろんな工程が含まれている。顔を洗って髪をとかして(人によっては風呂に入って)、着替えて飯を食って歯を磨いてトイレにも行って、新聞を読んだりテレビを観たりもする。全行程に必要な時間を逆算して起床時間が決まる。起床時間が決まることで就寝時間が決まる。就寝時間が決まることで、前日の夕食の時間やテレビの時間、ゲームの時間、勉強する時間が決まる。

■生活サイクルは、時間の流れをさかのぼることでつくられるのです。

■で、普段「登校」という言葉を使うとき、ここまでの意味を含むとは想像しない。それは「当たり前」のことだから。だから見えない。一方で、別室登校の生徒を見ていると、「登校」の意味が違うのかもと思うことがある。「登校」とは文字通り「学校へ行くこと」であって、それ以外は想起しないって人もいるんじゃないかな。そして、困ったことにそれは全然間違いじゃない。だって「登校」なんだもの。

■「登校」がいろんな工程を経ていると思わないから、寝起きのままのような格好で来る。または、逆算してサイクルを決める方法を知らないから、起きた時間によって登校時間が変わる。でも、繰り返すけど間違いじゃない。だって「登校しろ」って言われて「登校してる」んだもの。制服を着てくるだけでも大したものだ。

■「学校に来る」とはどういうことなのか、例えばそこまで分解して考える必要がある。これを「生活習慣がなってない」と批判するのは簡単だけど、そう言って解決するならとっくに学校に来てる。それより一緒に改めて工程を確認するほうがいい。それに、逆算で予定を立てない人は大人にもたくさんいる。ひとつひとつ物事を確認し、積み重ねることで作業を進めていく人。知らない場所へ行くのに、俺なら、目的地からさかのぼって知っている地点を見つける。そうしたら、そこまでは行けるからもう道は「分かった」。でも、スタート地点から順を追って目的地までの経路を確認する人だっているよ。だったらこれは、ものの見方の問題なのかもしれない。

■「登校」にこれだけのものが含まれるんだから、「不登校」だって相当なはずだよな、とそんなことも思った。ひと括りには語れないよね。


■とうとう最高気温が20℃を切るようになった。涼しくて気持ちいい。そして眠い。周囲には風邪ひきがちらほら。ご自愛を。