漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

39窃盗団

■通信作成後、エルプラザにて「39窃盗団」を見た(公式サイト)。

■あらすじ

IQが境界域らしく、振り込め詐欺のリーダーに利用されて刑務所にいる弟ヒロシ。彼には祖母と暮らすダウン症で知的障害のある兄キヨタカがいる。出所して二人の下へ行ってみると、祖母は家で死んでおり、兄はそれがわからないまま一週間家にいた。近所の人からは障害のある人は施設に行ってほしいと告げられ、身よりと住む場所が無くなった二人は、ヒロシと同じ特別支援学級にいた幼馴染の女和代が一人暮らしするアパートに行き共同生活を始める。金を稼ごうとがんばるがうまく行かないヒロシは、刑務所に入る原因を作ったにも拘わらず「すっげーいい人」である、振り込め詐欺リーダーの事務所に向かう。彼はヒロシに「お前の兄貴は刑法39条があるから、刑務所に入らなくていいんだぞ」と伝える。兄に泥棒をさせれば刑務所に行かず暮らしていけると思いついたヒロシは、和代・キヨタカの三人で泥棒行脚をしようと計画。キヨタカに泥棒の特訓をし、和代の実家の車を盗んで田舎へ旅に出るが…。

■あらすじを見るとちょっと重い話のように思えるが、「刑法39条があるから大丈夫!?兄と弟が紡ぎだす、緊張感ゼロのドロボームービー。本当に、彼らは捕まることは無い!…のかな?」というコピーがついている通り、コメディ映画。音楽が「あまちゃん」のテーマを作った大友良英で、これも気の抜けた感じがしてよい。

■札幌の上映実行委員会はダウン症児の父母会や障害者団体が集まって作られたもので、当然この作品の社会派的側面がクローズアップされて新聞にも取り上げられた。上映後の監督を交えたトークショーに来ていた新聞記者に、ロビーで感謝の言葉を述べる観客が何人もいた。札幌学院大学の二通先生も、この映画が大別して5つの、養育者の不在、累犯障害者、虐待、ホームレス、地域の理解という障害者をめぐる問題があると入場時に渡されるリーフレットで解説していた。

■上映後のトークショーで監督がした話で記憶に残っているのは二点。一つは、劇中でキヨタカを「カワイソウな人」呼ばわりして絡んでくるサラリーマンについて。そう思う人は、何十年か後に手足も動かなくなり、判断能力も下がっていくことを考えているのか。人は「カワイソウな人」に向かっていくのに、と思っているという。もう一つは、家族の中での弟の存在について。兄弟がいると、下に生まれた子が立つ瞬間や話す瞬間を誰が見たのか競争のようになるのだという。キヨタカ役の清剛さんは五番目の弟で、上四人は何か立つのや話すのが遅いねぇ、といった感じで接していたのだという。この二つの話は、いわゆる健常者と障害者の間が連続体として存在しており、当事者とその家族にとっては意識されないで生活が営まれているということを示している。当事者やその家族にとって、生の営みや輝きはその渾然一体となった生活の中に存するのであって、そこで起こる苦しみや悲しみを「問題」として区別し取り上げた瞬間、他人事になってしまう。

■この映画は、それを避けたいが故にコメディとして作られたのではないだろうか。難しいことを考えるのは、ゆっくりでいい。映画は強弱はあれど現実の社会とつながって作られるものであり、この映画を障害者をめぐる社会的な問題を考える起点として見ることは可能だ。でもそれよりも、もっと普遍的な、人間の生きる姿が如何に面白いものであるかを描いた作品だと思う。自分の大好きな、エミール・クストリッツァの作品に、音楽も含めて、かぶるんだよな。(24日)