■今回のJDECでは、「オルタナティブ教育法」の骨子案を期間中に三回、話し合う機会を設けていて、気合いが入っていた。オルタナティブ教育法は、つい先頃衆議院法制局に骨子案を検討するように依頼したとのこと。法制局は議員が法律を作る時にそのアイデアを法律化する手伝いをする部局で、初めて外部の専門家に朱を入れてもらうことになるわけだ。どのような結果になるのか、楽しみだ。
■法律を作っていく一方で、社会的な機運を高めるために「オルタナティブ教育法を実現する会」という団体を作り、賛同者を組織し広報宣伝していこうという提案があった。多くのオルタナティブ教育団体を巻き込んでいこうという作戦だ。オルタナティブ教育を普通教育に位置づける、というこの法律の目指すところは、間違いなく国民的議論の対象になるはずだから、これは必要。ただ、議論が始まり大きくなればなるほど「不登校」「フリースクール」という狭い範囲を飛び越えて語り合う必要が出てくる。現状できあがっているものは「フリースクール支援法」をようやく超えられるかという段階であるので、どれだけ進化できるかが鍵になる。
■ところで、「不登校」という言葉を乗り越えて語る必要があるのは、この法律だけではない。この大会に行く度に「不登校の子どもの権利宣言」が、「不登校の子自身が自分たち自身で学習権を謳った」として取りあげられる。しかし、これもまた「不登校」をとっとと取り払って「子どもの権利」を取り上げなければならない。世界共通である「人権」を、日本のローカルな社会問題である不登校という事象に狭めて語る必要はない。元来の「子どもの権利宣言」が不登校の状態をも包含して成立していることを、子供が気づくように学ぶ必要がある。また、限定付きの「権利宣言」を作るよりも、一般的な宣言を運用でどう実現するかが重要であるとも思う。
■話しをオルタナティブ教育法に戻す。漂流教室の活動からすると、この法律の一番のネックは「現在の公教育と漂流教室の二重利用という現実が反映されていない」ということだ。学校に通うか「オルタナティブ教育」をやるかの二者択一なのだ。自由に行き来することまでは考えていても、並行利用をする場合は考慮されていない。多様な学びを保障しますと言ったって、その内一つしか使えませんというのは変だろう。うちとしては、今後はここを論点にして行かないとな。
■二日目の分科会では、「フリースクールとコミュニティ」に参加した。福島の「寺子屋方丈舎」をやっている江川さんが、NPOとしてのフリースクールについて講義してくれた。オルタナティブ教育法が「不登校」からの脱却を目標にするなら、漂流教室は「フリースクール」からの脱却を目標にして活動しようと思った。漂流教室がこれまでやってきたことを見えるようにして、広げなきゃならん。