■教育機会確保法の前身は「オルタナティブ教育法案」といった。フリースクールや、シュタイナー学校などのオルタナティブ学校、またはブラジル学校のような外国人学校、さらにホームエデュケーションまでさまざまな教育機関を学校教育とは別の公教育として位置づける。普通教育は学校教育とオルタナティブ教育のふたつの体系から成り、子供はどちらの教育も選択できる権利を持つとした。
■はじめはフリースクールの大会であるJDECで議論され、その後、不登校の子を持つ親の会のメンバーへ下ろされる。もろ手を挙げて賛成されるかと思いきや保護者からは異論、反論が相次いだ。だが、その声は拾われることなく、「多様な学び保障法」「教育機会確保法」と名を変えて、2016年、不登校対策の法律として成立した。
■と、いまさらこんな話をはじめたのは、ある論説を読んだからだ。「『教育機会確保法(不登校対策法)』と『夜間中学』」。書いたのは新潟で「居場所じゃがいも・じゃがいも親の会」を主宰する南雲和子氏。『社会臨床雑誌』という学会誌に掲載された。
2011年2月末に長野県の温泉であった「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」の春の世話人合宿で、「親の会」の考えなどは全く無視されたまま、出来上がってしまっていった法案が、初めて親の会の世話人に手渡されました。「ほら、素晴らしい内容でしょう。これができれば不登校の子どももその親も、もう何も悩むことはなく、とても楽になります。素晴らしいでしょう」と、ネットワークの代表は自画自賛していました。
しかし、楽になる根拠が見えません。あちらこちらの世話人から質問の渦。しかし、答えは何も根拠のない「不登校の子どもたちもその親も、もう何も悩むことはなく、とても楽になります」を、壊れたテープレコーダーのように繰り返すだけ、聞くに耐えられず、代表と同じ空気も吸いたくないので早々に中座してしまいました。
親の会の全国組織である「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」の世話人合宿に俺が初めて参加したのは、北海道大会が開催を前にした2012年の2月。そのときにはすでに推進したい側、反対する側のあいだでぎくしゃくした空気が流れていた。「2011年2月末」という時期に、世話人会で自分が感じた空気を重ねると合点がいく。
■一方でこんな話も聞いている。親の会にオルタナティブ教育法の骨子案について意見を求めたが、「現状では判断できない、もっとまとめたものを持ってきてくれ」と言う。それで具体的な条文まで練って出したら、今度は「どうして相談もなくこんなものをつくったのか」と言われた。反対するにしても筋が通らない、と。
■どれも後から聞いた話だ。その場にいなかった俺にはどちらの言い分が正しいかわからない。ただ、このあたりを境に溝が深まったのは間違いなさそうだ。
■話が飛ぶが、この一文が俺には興味深かった。
この法律が生まれる発端は「全国フリースクールネットワーク」からでした。
正しくは「フリースクール全国ネットワーク」だ。些細な間違いだが、筆者はそう思い込んでいた、というより正式名称を気にしたことがなかったのではないかと思った。なぜならフリースクール全国ネットワークの代表も、「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」の代表も、どちらも東京シューレの奥地さんだからだ。事務局もシューレのスタッフが担っている。名は知らずとも「奥地さんのところ」と言えば済んでいたのじゃないか。
■かつて、全国の親の会は一体だったのかもしれない。フリースクールも、代表である「奥地さんのところ」として受け入れられていたのかもしれない。それがある日、様子が変わる。親の会の代表であったはずが、フリースクールの代表として、「学校に代わる教育」を勧めてくる。これでは学校復帰を迫る教師、教育委員会と同じではないか。
■「休む」という言葉が「学ぶ」文脈で回収される。不登校に常につきまとう“ねじれ”で、最近ではクラスジャパンもそうだった。それを自分たちの代表にやられたら、法律の中身云々の前に「裏切られた」という気持ちでいっぱいになるだろう。愛憎がさらに分断を深くしたということはありそうだ。
■親の立場とフリースクールの立場と、ふたつの軸を持つのが奥地さんの強みだった。片方がダメでも、もう片方の理屈で戦える。だが、同時に危うさでもあった。両方に足を置く人は常にバランスを求められる、奥地さんが「休む」難しさを承知してなかったとは思わない。だが、フリースクールの側に踏み込んだ施策を求めれば、「学ぶ」文脈を強調せざるを得ない。傍からはそれは「休ませない」と映る。困ったことに、本人のなかではどれも「不登校の子のため」で矛盾しない。なので以前との違いを指摘されても気づかない。
■いま思えば、「多様な学び保障法を実現する会」ができたときが、バランス回復の最後のチャンスだった。法案推進は「実現する会」に任せ、奥地さんは親の会側へ戻る。保護者の不安を聞き取り、反論をまとめ、「実現する会」と交渉する。法案が「教育機会確保法」に名前を変えた2015年、フリースクール全国ネットワークの総会で同様の主張をして叶わなかったので難しかったとは思うが、そんな空想をしてしまう。
■片方の皿には親の会、もう片方はフリースクール。かつてバランスの取れていた天秤はひっくり返り、皿の重りはバラバラになった。強権的と批判することもできるし、ひとりにすべてを任せてサボっていたツケがきたともいえる。ここから、ひとつひとつ集めなおすことができるだろうか。もっとも集めたところで、新しい天秤にあるのは「学校復帰」と「教材会社へのアウトソーシング」で、もう乗る皿がないかもしれない。このタイミングで「#不登校は不幸じゃない」という“新しい”運動が立ち上がったのもどこか示唆的に思える。