漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

セミと腹痛

■通信課題のサポートならば、いっそ生徒同士で教え合える仕組みはどうだろう。ネット上で行うなら、科目ごとに掲示板を用意すればいい。ゲーム攻略などでよくある形だ。課題は全員持っているから、質問に際し問題を説明する必要はない。「何月分の何番目がわからない。教えて」で済む。これのいいところは、質問が楽なだけでなく、質問しない/できない人も恩恵にあずかれるところだ。

■実際にアンケートでもとってみなければわからないが、電話なりネットなりで専門スタッフがいつでも懇切丁寧に教えてくれる、という仕組みを良いなと思うのは親ばかりで、当の生徒たちはそうは思わない気がする。今まで俺のところに電話で質問してきた子はたった一人、それも止むに止まれずの一回きりだ。「専門スタッフが」「いつでも」「丁寧に」というのは、案外重たくて面倒くさいものなんじゃなかろうか。生徒同士、掲示板に書き込むくらいがちょうどいい気がする。

■話が「理解するとは」という問題から離れて、ちょっとタイミングを逸した感もあるので、俺のサラリーマン時代の話は簡単に済ませよう。前にも書いたかもしれないが、とにかく仕事のできない社員だった。会社には怒られに行ってるようなもんだったが、怒られても何に怒られてるのか理解できない。だから、何をどう改善していいかわからない。なんだかハウツー本を読んでみたり、毎日反省ノートのようなものを書かされたりしたが効果なし。だって、そもそも何がわからないのかもわからないのだ。懸命に取り組んでるという形を整えるだけで精一杯だった。笑ってしまうが、どこかの本から引き写した「サラリーマン心得十箇条」みたいなものまで携帯してた。

■まあ、そのうち辞めたんだか辞めさせられたんだか曖昧なことになって、反省ノートも心得十箇条も必要なくなったのだが、だからといって仕事ができるようになったわけではない。まあまあ及第点をつけられるようになるまでに、それから数年を要した。方程式のときと全く同じに、バイトで働く中で、自分で仮定を立ててひとつづつ確認した。そうしたら、前の職場で何を怒られていたかもわかるようになって、あんまり酷い社員だったと、我がことながら少々呆れた。ということで、俺にとって「理解する」とはそういうものなのだった。

■朝起きたら、エゾハルゼミが鳴いていた。寒い春で、さぞ待ちくたびれたろう。セミだって、こういう年は少しくらい長生きしてもいいんじゃないか。セミの鳴き声を背に訪問3件。最初の訪問先で謎の腹痛に襲われる。しばらくしたら治ったが、なんだったのだろうか。