漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

理解の飛躍

■あんみつさんが「パソコンのユーザーサポートのように数学を教えることはできないものか」という提案をしている。それに対し、コメント欄でしのさんが「入力」「出力」という言葉で両者の違いを説明していたのが面白かった。俺の中ではこれは「飛躍の有る無し」となる。

■1+1=2が解けるようになったからといって1+2=3が解けるわけではない。一桁の足し算ができても、ニ桁の足し算は教えてもらわなければできないだろう。だが、三桁の足し算ができる子供ならどうか。四桁、五桁の足し算でもできるのではないか。このように、理解というのはどこかで飛躍を伴う。「飛躍」という言葉が抽象的すぎるなら「法則の発見」としてもいい。それが成って、初めて「わかった」となる。

■翻って、パソコンのユーザーサポートでは飛躍は要らない。場面に応じて1+1=2であることが、または1+2=3であることがわかればいいので、自分で法則を発見する必要はない。最低限必要なのは「1+1」が「いちたすいち」と読めること、つまり用語の知識だろう。それがあれば、適確に質疑応答ができる。

■中学の頃、方程式の文章題が苦手だった。「1本30円の鉛筆と、1本50円のボールペンを合わせて20本買ったら840円でした。それぞれ何本買いましたか」なんて問題は、すっかりお手上げだった。解説を読んでもさっぱりわからない。それでも解かなきゃならない。仕方ないから、例題をまるまる写して解析した。問題文に出てくる数字と数式の数字をいちいち比べて、最初はここの数を書く、括弧の中にはここの数を入れる、と仮の法則を立てた。そして、その決まりに則って同じような問題を解いて、答があってるかどうか確かめた。あってたらその法則は有効。今後そのテの問題は、この法則で解けばいい。食塩水の濃度、距離と時間、いろんなパターンを全部確かめた。理屈が追いついたのは、法則を発見したずいぶん後である。

■俺が見ている限り、数学嫌いな子というのは、他人の見つけた法則で問題を解こうとしている。自分勝手に理解していいなんて思いもよらない。だから、目先を変えられるとすぐ混乱する。応用が利かない。1+1=2ができて1+2=3ができない類である。自分で見つけた法則なら混乱しない。飛躍して理解しているからだ。

■だから飛躍に至るまで丁寧に教えて欲しい、というなら賛成だ。ただ、それはとても難しい。理解の法則は個人個人で違うので、大変伝えにくいのだ。しのさんの言う「入力から出力への『過程』の部分を伝えなければならないことが多いので、教える・教えられる双方にとって負担が大きい」というのは、そういうことだろう。結局、自分の方法を見せてやらせて、後はそれぞれやり良いように好きにしろ、と言うしかなくて、どうしたものかと思案している。

■訪問2件。美術の宿題で修学旅行で訪れた城を描かなきゃならないから手伝え、との要求に苦戦する。着彩は苦手なのだ。片岡鶴太郎式のいい加減画法を教えて誤魔化す。その後、通信を作って、今日は夕方には仕事終了。山田から借りた発達障害についての本を読む。


本日の脳内BGM:泣いたままでlisten to me(バービーボーイズ