漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

意味理解じゃない

■肌寒い。漂着教室のティッシュがすごい勢いで減っていく。鼻風邪が三人もいるからだ。何かもっと紙を使わないで済む方法はないだろうか。手鼻か。手鼻だな。というネタは20年くらい前に喜国が描いてた気がする。

■少し前の話。

■1より小さい数をかければ元の数より小さくなるのは、理屈として何となく分かる。では1より小さい数で割ったなら。答が元の数より大きくなると気づいたのは中学に入ってからじゃなかったかと思う。それまでは特に気にしていなかった。なぜそうなるか説明できるようになったのは高校生、いやひょっとしたら大学生になってからかもしれない。説明の要を感じなければ人はできるようにはならない。

下にあげた4つの式で、□は、0でない同じ数を表しています。
計算の答えが□の表す数より大きくなるものを、下の1から4までの中からすべて選んで、その番号を書きましょう。
1)□×1.2 2)□×0.7 3)□÷1.3 4)□÷0.8

■全国学力テストの結果を分析したところ、小学6年生の半数近くが上のような問題を解けなかったという。それで、少数のかけ算わり算の意味を理解していない、と新聞テレビが騒いだ。

■しかしこれは意味理解の問題なんだろうか。当時の俺が、意味を理解してるかと訊かれたら、おそらく答えられなかったと思う。でもこの問題は解けた。多分。だって□に適当な数を入れて計算すればいいんだろう。

■1より小さい数で割ると、答が元の数より大きくなるのはなぜですか。こう質問されたら大人でもあたふたする人はいるだろう。でも上のような問題なら解ける。なぜなら正解を導くための手段をたくさん持っているからだ。そして、それは必ずしも意味の理解とセットではない。

■あえてテスト結果に苦言を呈すなら、解答のためどんな手を尽くしたのか問いたい。片っ端から計算すれば分かるんだから。分からなきゃ分からないなりにやりようはあって、そうやって組んずほぐれつしてるうち、あれ? 1より小さい数で割ったら必ず答は元より大きくなるんじゃない? という発見があったりする。発見があれば、なぜそうなるのか、と原理を知りたくなったりする。だから意味理解よりは、分からないなりに問題に取り組むことの方が大事だと俺は思う。

■と、ここから急に歯切れが悪くなる。じゃあ、分からないなりに解こうとするためには、どうすれば? 俺にはやっぱり試験が強い動機だった。試験で悪い点を取りたくない、という気持ち。でも解き方が分からない。じゃあこれまでの経験を総動員してやってみよう。おかげで図を描くのがうまくなったり、構文の仕組を覚えたりしたが、俺の経験をうっかり使うと、試験で競争させよう、となる。でも、それは何かが抜けてるな。

■他人との競争ではなく、解けないと自分がイヤだ、という気持ち。多分そっちの方が強い。じゃあ、それはどこから生まれたんだろう。そして、やっぱり他人に負けたくない気持ちだってあったから、自分との戦いみたいにキレイに済ませられない思いもある。

■結論はない。とりあえずモヤモヤ考えている。はっきりしてるのは、数式の意味を理解してるかどうかはあのテストからは分からないし、理解してなきゃいけないかどうかも言えないぜ、ということまでかな。