■「漂流教室」の活動は、レポートを見た田中敦さん曰く「ソーシャルワークの側面が強い」んだそうですよ。高校中退・不登校分科会2日目のレポートは、「漂流教室」以外にフリースクールから2本、高校教員から1本。彼は去年の合同教研で「情緒に流されずに分析していくことが必要だ」と発言した人である。このような研究会が、具体的な策を論ぜず、行政批判、教師批判に終始しているように彼には見えるらしい。
■彼のレポートも含め、昨年一昨年とくらべ、今年は教員の威勢がよかった。恐く、それぞれの学校で、ようやく対策と呼べるものを講ずるようになったのだろう。一方、フリースクールのレポートでは、「学習権の保障」を柱とし、「学校ではない学びの場」として学校と共存しようというスタンスのものが多かった。自らもそういう発言をしながらしかし、その場にいて俺は、「こういう状態は余りよくないかもしれない」と感じた。
■教師は当たり前だが学校復帰を目指す。それは自然なことで責められることではない。だが、「教師は当然学校復帰を目的にする」ということは、裏を返せば、「教師以外は特に学校復帰を目的にしない」ということだ。そこを曖昧にしたまま歩み寄ることは、自然、「学校復帰」を共通の目的としたことになりはしないか。事実、2日目の討議は「学校復帰」が前提の流れとなっていた。いつの間にか。
■あの場でも言ったしここにも書いているが、不登校とは「あらゆる子どもに起こり得る現象」ではなく、「あらゆる学校に起こり得る現象」であると俺は思っている。どんなに手を尽くそうと、学校に行かない子は出てくるし、戻らない子は戻らない。じゃあ、その子の学習の権利をどうやって保障するのか。フリースクールの側の意識はそこにあって、「学校復帰」にはない。そこは面倒でもいちいち声に出す必要がある。手を携えることは重要だが、そのためにも立場の違いは明らかにしておかないと。「連携」とはそれぞれがそれぞれの流儀を持ちつつ協力することで、ひとつになることではないのだから。と、こうして書くとあんまり当たり前過ぎるな。
■そう「連携」。今回の分科会で通底したテーマは「連携」だった(もしくは“ネットワーク”)。ということは、来年のレポートは当然、「如何に連携を取ったか」「どのようなネットワークを築いたか」という内容になるはずだ。それでこそ、今年の討議が生かされたということになるんだし。と、来年の自分にプレッシャー。