漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

49th道民教 第二分科会「青年期の教育」

■副題は「青年に格差社会に抗し生き抜くわざと支援を」。パンフレットに印刷された副題の改行が、「生き抜く」と「わざ」の間に入っていて、意図的に支援をするということか?と一瞬戸惑ったが、Skillの意味だった。漢字で書いてよ。

■まず、全体を通しての感想。今回の道民教では、地元釧路の地域生活支援ネットワークサロンの活動が初日に発表されており、その中でもコミュニティハウス冬月荘での生活保護世帯の子供たちへの学習支援「Zっとスクラム」がクローズアップされていた。その模様については冬月荘HPとブログを参照してほしい。この分科会の中でも、参加者の頭の片隅にはその実践のインパクトがあったようで、参加者の発言にも盛んに「冬月荘の実践のように」という言葉が出てきたし、二日目にはスタッフからの報告もあった。タイトルにある「格差社会に抗し」ている民間の実践が、教師や大学研究者には新鮮だったのだろう。

■しかし、その実践は全国各地のフリースクールでも行われている。そして、道民教や合同教研など教師たちの集まる場で昔から報告している。相馬氏の出ていた不登校分科会はその司会が北海道自由が丘学園の人だし、合同教研でも札幌自由が丘や漂流教室フリースクールではないにせよ童夢学習センターの報告だってある。しかし、その実践に対して教師や研究者が今回ほど積極的に感心をもっていたことは無いように思われる。一体、その差は何か。もしかすると、不登校という方向から子供に関わっているからかもしれない。そこは彼らの舞台であって、自分たち以外が乗ってくることに拒否感があるのかもしれないと思う。他にも考えられるだろうか。

■報告は三本あった。一本は中学国語教師の作文や班ノートを通して生活実態や感情の表現を深める実践。授業の中でノートを一人一人に渡して、その時々の思いを書いてもらい、教師とやりとりをする。教科通信の中で教師のコメントと生徒の写真と共に発表したり、教師が撮った素敵な風景写真に入れる形で張り出して、生徒たちにフィードバックすることで教師からの一方通行ではない、コミュニケーションが出来ていた。レポートはその実物を入れた、分厚いもので読み応えがあった。生徒の作文も、文を書くかっこよさを知っているなと思わせるものが結構あり、面白かった。

■ただ、その発表を見ていて、漂流教室でやっていることからの疑問点がどうしても離れなかった。地方の中学校で80人そこそこの生徒全員とノートのやりとりをしているが、教科通信や張り出しで取り上げられる以外の生徒はどんなことを書いているのだろうか。取り上げられる作文と取り上げられない作文の差は何か。漂流教室が関わる子の多くは取り上げられない方に属しており、そうした子に対してはどのような影響をこの実践は持っているのだろうか。というようなことを聞いてみたが、あまり歯切れのいい答えは無かった。歯切れ良く話す発表者だったので、結構期待したのだが。

■もう一つの発表は、星園高校でサポステと共にキャリアカウンセリングに立ち会った北大教育学部大学院生の発表。星園高校にはスクールソーシャルワーカーとしてネットワークサロンの代表だった日置さんも関わっていて、家庭へのバックアップも行いながら生徒が就職に向けて自己変革していく様子がよくわかる発表だったと思う。この発表を軽視するような発言が、発表者が退席してから研究者からあったのが残念。

■冬月荘の発表は上で紹介したHPの中身と実際に参加していた人との質疑応答だった。最初はどんなとこだろうと思って行くのをためらったが、友達が一緒に行くということで行ってみたという人が多いのが印象的。漂流教室もそうだが、一人で来るのは大変なんだということを再確認した。この発表は今後の漂流教室の事業にも役立つだろう。

■相馬氏が言うように、学校とフリースクールの壁は思ったよりも薄いかもしれない。しかし、薄いが故に、フリースクールが行ってきた実践に目を向けることが無いのが学校かもしれないと思った道民教だった。