漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

ラジオに出た話

■日曜日は相馬の日誌にもあるラジオ「ナナメの場」に出演した。

■ホームレスの夜回りの仲間と話していた、「居場所」の空間が変わると人間関係が変わるという話と訪問から見えてくる時間と人間関係の絡みについての話を、番組ディレクターに捕捉されて出てくれないかと頼まれたのが夏前だったか。そこから色々と考えられたのは面白かった。

■「居場所」という言葉が不登校業界で使われ出すのは90年代の終わりくらいからだと思う。不登校新聞の創刊号でも「学校以外の居場所」という語は出てくる。しかし、手元にある1983年出版の「登校拒否」(金剛出版)という本では出てこない。「居場所」は恐らく学校に代表される既存の組織体ではない関係性を持てる場所として登場した語なのだろう。「場所」と書かれてあってもそれは物理的空間とは関係ない。人間関係を構築するステージというほどの意味合いで使われているのが「居場所」の「場所」なのだ。では「居」は何か。それは、「居る」という動詞によって、そこに存在する時間が必要であることを示していると自分は解釈している。つまり「居場所」という語が表しているものは、「学校のような既存の関係性から抜けて新たな人間関係を構築できるほどの時間を過ごすことが可能なライフステージ」となる。多分この時間を短くすれば、ファシリテーションとか上手に会議をする方法みたいなもの、茶の湯でいう一座建立のような考え方になるだろう。「居場所」という語を使う時に暗示されている関係性が、構成員が対等であることや居心地のいい関係であることも納得いく。

漂流教室は週に一回一時間の訪問を重ねることで関係を作るということをしてきたので、逆に場所で何が起こるのかにはそれほど自覚的ではない。今回の番組には建築家がゲストで招かれていて、話の中で今後につながるヒントもあった。
jun-igarashi.jp

■原っぱと遊園地でそこにいる人がどう過ごすかが変わるという話は、時間でも同じだと思った。訪問でカリキュラムやプログラムを用意しないというのは、その時間を自由にするということだ。ただ、時間の場合はそれが無為に過ごすという悪いイメージで捉えられがちなのが残念だ。また、北海道では店を作る時に中が見えるのは流行らないというのは面白かった。もしかすると、時間の扱い方も土地や世代によって流行とでもいうべき、違いがあるのではないか。それは、歌舞伎やオペラのようなフォーマットが成立しているものを演じる場所の建築は考えられるが、クラブやライブハウスのような自由度の高いところだと難しいという話ともつながるかもしれない。プログラムやカリキュラムがあれば時間の使い方やファシリテーションはやりやすいだろうし、そうしたフォーマットは土地や世代によって変わるのではないか。

■上で見たように、「居場所」という語は原理的に一人で過ごすことを含んでいない。しかし、人はもともと一人でそれなりに心地よい時間を過ごすことを生きる上で必要としている。これを「居場所」という語を付着させた空間に求めるのが、矛盾を生んでいるのではないか。空間と場所とそこで成り立つ関係性の三軸から活動を捉えると、漂流教室のやっていることの分析は少し進むかもなあ、と思った。(火曜日)

居場所とは

■快晴。家の近くで開催されていたイベントで焼き鳥を食べビールを飲む。

■夕方から山田の出ていたラジオを聴く。

■「居場所」ってなんだろーなと漠然と思いを巡らせながら聴いていた。没頭できる居場所、ぼんやりできる居場所なんて考えて、いや、結局「他人の目を気にしなくていい」ってことかと思い直す。他人の目を気にせず没頭する、他人の目を気にせずぼんやりする。俺のなかの「居場所」はそういう空気を帯びていて、だから人間関係を求めて居場所に来る人がよくわからないんだな。

■でも、「他人の目を気にしない」だって人間関係だ。「他人がいない」わけじゃないから。いるけど気にしないのは、そういう関係をつくったからだよね。反対に自分ひとりだって他人の目が気になることもあるし。

■建物の構造も影響する。気にしなくて済むつくりの部屋や建物ってあるもんな。自身の変化だってある。

■なんじゃろねー居場所って。たくさんハラペーニョをもらったので、三升漬にしたりオイルに浸けたりピクルスにしたりする。作業しながら今日は9.11だったかと気づく。

札幌ドームリレーマラソン

■毎年恒例でやっていた6時間耐久札幌ドームリレーマラソンに、友人たちと参加した。コロナで中止になっていたが三年ぶりというやつだ。三年間で一番感染者数が高い中で開催しますというのは釈然としないが、自分の感染へのアラートも大分狂ってきているので、その辺はぐだぐだにして参加。

■今年は一年以上走ってきた成果がどんなものかを見るいい機会だった。全部で7人で走ったのだけど、全部で27周したうちの6周は走ったのでまあまあだ。一周二キロのコースをほぼ10分以内で走れたのも良かった。大体いつも一キロ5分台なので、いつもよりスピードが出ていた。

■そうだ、スピードと言えば、仲間の一人が電気自動車のテスラでやってきていて乗せてもらった。時速100㎞まで4秒ほどで到達する加速は飛行機よりもすごかった。しかも静音。いずれ車はみんなあんな感じになるのかな。訪問もそうなるのかな。

■六時間走った後は打ち上げで焼肉。走った後に栄養を取るのは大事である。その場で、一緒に走っていた人がシンタの集いで会っていた人のお姉さんだということがわかり、面白かった。(火曜日)

イメージは独楽

■朝から来客。「居場所の運営とお金」を調査研究している方たちが漂流教室の聞き取りに来た。フリースペースを無料にしたことの影響、「フリースクール」を名乗るのをやめた理由、「居場所」なる言葉がなにを含みなにを曖昧にしているか、訪問で起きる変化など三時間近く話した。おもしろかった。

■他者と話すと思わぬ発見がある。「不安定になろうとしている」と、ぽろっと自分の口からこぼれた。始めた当初の方がまだコンセプトがあった。フリースクールをやめ、利用料を無料にし、プログラムも目的も持たずただ人とかかわる。見栄えのする活動や聞こえのいい言葉を削って、どんどん「なんだかわからないもの」になっていく。資金難だから利用料をなくすとか、自分でも意味不明だもの。

■話しながら浮かんだのは「独楽」。独楽は不安定だから回転を続けねば倒れる。それとおなじで、活動を続けるため足場を不安定にするのじゃないか。あくまでイメージだが、そんな像が浮かんだ。

hyouryu.hatenablog.jp

そういや「安定しつつ不安定に」ってどこかで書いたなと探したら、あった。なんだ。前から似たようなことを言ってたのか。

■独楽は、傾くと逆方向に力がはたらき、すりこぎのような動きをしながら元に戻る(回転が続けば)。外からの影響を受けつつ、それでも倒れずここまで来たのは、やっぱり不安定な状態を維持していたからじゃないかな。それがまわりに不安を呼ぶようなものでは困るし、己の力不足を正当化するものであってもいけない。あらためるものはあらためるとして、でも、どっしり安定した状態もどこか違う気がする(安心はしたいけどねー)。

■もちろん、安定を求めるのも間違いじゃない。どのフリースクールも懸命に経営努力を続けている。一方で、自力で支えをつくるのはズレてるんじゃないかとも思う。そもそも不安定な活動だから、まわりの支えが必要なのだ。いや、独楽なら支えじゃないか。回転力の保持。その原動力はなんだ。お金だ。賛助会員募集中。

賛助会員になって漂流教室の活動を応援してください(個人:5,000円/年・団体:10,000円/年)
ゆうちょ銀行:02740-9-100855 訪問型フリースクール漂流教室(他行から:二七九店 口座番号0100855)

9月の漂着教室

■9月の予定を上げてなーい! いかんいかん。

■21日(水)は北海道フリースクール等ネットワークの食育教室があり、漂着教室はお休みです。漂流宴会は今月も各人の心のなかでおこなうことになりそうです。祝日が二回ありますが、19日は月曜なのでもともと休み。23日(金)は開けてます。

訪問先の話あれこれ

■訪問先でお悩み相談。私の悩みを聞いてもらう。毎回欲しい言葉と適切なアドバイスをくれるんだよなぁ。ありがたい。

■別の訪問先では最近進撃の巨人を見始めたということで、アニメを流しながら大いに盛り上がりました。私は単行本派だけど、アニメの進撃の巨人はすごく動く。立体起動装置でびゅんびゅん動く。そして漫画では伝わらないアニメならではの見せ方で、全く気づかなかったシーンやキャラの感情の動きに気づかされました。いやぁ、アニメってすごいね。

■また別のアニメがどこかのブランドとコラボした時計を発売したそうで、それをなんと全種類買い揃えたそう。合計7本。腕は2本しかないよ~とその時は二人で笑ったんですが、その次の日に私のはまっているアニメでもコラボ腕時計が出て悩む悩む。私も全種類買って揃えたいな。

9月こんにちは

■8月さようなら、9月こんにちは。コンビニでは肉まんが売られ、暦では秋。冗談でなく、お正月がつい最近のことだったんですが。確かに冬は雪が凄くて夏は暑かった。だけどそれから9ヶ月もたっていたなんて。うそでしょ。

■ということは、11月に生まれた息子も順調に成長していっているということ。今月で10ヶ月になりました。お兄ちゃんは3歳と10ヶ月になります。最近朝ごはんは廊下に座って窓の外から庭を見ながら食べています。食べ終わるころにはなんとなく寝起きの気持ちが切り替わって、さぁ動くか、と徐々に気持ちが起きだしてきます。

■最近は一人朝早く起きて自分の時間を確保しています。今日は5時半に起きました。そっか、だからもう眠いんだ。今日も早く寝ます。そして明日も朝早く起きます。