漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

内職

■雨の木曜日。木曜は多機能型事業所ソウアライブの仕事をしている。ふだんは訪問に出かけているが、今日はたまたま休みだったため、日中活動に参加する。午前中は利用者と職員が食べる昼食をつくり、午後は野球ボールの修繕と面談。

■野球ボールの修繕は「インクルージョンボール」という。糸がほつれてつかえなくなった硬式野球のボールをあつめ、縫い直して再利用する。これがなかなか楽しくて、つい夢中になってしまった。漂流教室の訪問でもつかえそうと思ったんだけど、障害者の就労支援目的なのよね。残念。

www.npo-89kyougikai.or.jp

■訪問中でも、ひとりで家にいるときでも、手を動かしてたら完成してたみたいな作業はないかな。要は内職。植物を育ててもらうのも楽しそうだなと思ったんだよね。木村唐辛子の種を送ってもらう?

いつも通りの日常

■日常ってなんだろうと最近考えます。いつものように起きて、過ごして、寝るのが日常だとすれば、ほとんどの人が日々同じ日常を過ごしていることになる。じゃぁ私の日常って何だろう。学生の頃、遠足や学校祭等の学校行事がある日は私にとって日常ではなく特別な日だった。だとすれば、そういうイベントごとがない日が日常なんだろうか。

■日常って簡単に変化します。子が大きくなればそれに合わせ日常が変化します。親が年を取れば、やっぱりそれでも日常が変化する。自分の日常って意外と他人に影響を受けるものなのかもしれないとも思います。私は変わらない日常を求めているのだけど、私を取り巻く環境は日々変化していく。

■子どもは何もしなくたって変化するし、成長する。何もしなくたって人は平等に年は取る。そうして日々変化していく日常の中で、ここ数年私の日常に欠かせないものってなんだろうと考えると、その一つは漂流教室の訪問だったなと思いました。

漂流教室の訪問がその子の日常として受け入れられると同時に、私の中でも訪問が日常になっていたんだと育休を明て改めて気づかされました。訪問に行くことだけじゃなく、漂流教室のスタッフとしている事がやっぱり私の日常です。二度の育休を過ごし、復帰し、そうしてようやく私の日常が戻ってきてた今、少しほっとしています。

■ということで、育休明けから戻って来ました茂木です!初めての方もお久しぶりの方もこんにちは。これからまた、よろしくお願いします。

鬼シフト

■皆さんこんにちはボラスタの山川です。

■日曜日のバイト先に腹が立っています。人が足りなさすぎる。そもそも毎日のように20:00からなんて100件以上も問い合わせがある状態でその中で電話に出ない管理者が2人いて電話を取るオペレーターが2人体制ってどういうシフトですか。元々有給で休みになった人がいるならその分を補充しなければ仕事自体回らんだろ。結果として終業時間の22:00には間に合うように勤務は終わったのですがそれにしてもきつくないですかね最後なんて1時間半ぶっ通しで電話取り続けましたよ。途中から自分が何を言っているか分からなくなりました。

■7月から新しい人を雇うらしく今面接で何人か決まってると、ならばすぐにでも研修受けて早くシフトに投入してくださいと思いながら月曜日はバイトをお休みしました。

五輪不招致

■日曜日、五輪不招致デモに参加。

すぐ消えるだろうけど、ニュースも貼っておく。
www.asahi.com

■前のオリンピックの年に生まれ、親はその取材をした新聞記者だったこともあり、オリンピックには幼少期から基本親しみを持っていたおれだが、ロス五輪あたりからのお祭り的商業化への違和感やサラエボギリシャ北京五輪等の跡地が悲惨になっている様を見たこと、東京五輪を巡る賄賂疑惑や都市開発への疑問、財政的な問題などで、今や全くオリンピックを開催することには反対になっている。札幌ドームからファイターズがいなくなり、スポーツ関係で市の財政に赤字が見込まれるだろうに、それを増やすと…とも思う。

■ということで、反対していくぞ。手始めに、ランニング中には東京五輪ラソンの記念プレートを踏んづけて走る。(水曜日)

日曜日はおしゃべりばかり

余市テラスでサンデースクール。道が混んでいて札幌を抜けるまで時間がかかった。よさこいを見に来た人たちなのか、よさこいを避けて札幌から出て行く人たちなのか。そういや、今日は札幌オリンピック招致反対のデモがあるのだが、夕方のスタートなのはよさこいの影響だろうか。

■ひさしぶりのサンデースクールはまったりした回だった。近況報告と情報交換。要はおしゃべり。

新装開店千客万来

■夜勤明け、うまく寝られない土曜日。うとうとしたまま、起きて漂着教室に行き少し仕事。その後帰りにボランティアの炊き出し組と軽く?飲んで帰宅。

■最近とみに思うのが、自治体が設置する「不登校の居場所」について。川崎市でも明石市でも、素敵な居場所が出来ているのだけど、そこ一つで終わりになっていやしないか。そうこうしているうちに「校内フリースクール」なんてものが出てき始めて、これは実はおれが理想とするような小さな居場所がたくさんあるという形を実現させてしまいそうな可能性があり。でも、「校内フリースクール」じゃ、多分学校の登校させたい本能を隠し切れず上手く機能しないまま制度だけ広がってしまい「もう手は打ってあります」という言い訳に使われて終わりにもなる気もしている。つまり、適応指導教室・相談指導学級・教育支援センターの、新装開店が行われるだけって感じね。だから、素敵な居場所を作っている各市におかれましては、それを不登校の児童生徒数に合わせて市内全域に広げるようにしてほしいのであります。(水曜日)

思春期とは

■録画していた「“思春期”リスクテイクの人類戦略」を観た。一昨年に放送された番組の再放送。

■人間の脳は巨大すぎて身体と一緒に成長させられない。それで10歳くらいまでにある程度脳を形づくり、その後、一気に身体を大きくする手法を取る。これが第二次性徴で性ホルモンの分泌が活発になる。性ホルモンは脳にも影響を与える。具体的には、感情をつかさどる扁桃体と報酬や快感を求める側坐核が活性化する。感情を抑えられなかったり、無鉄砲な行動を起こすのはそのせいだ。

■脳にはミエリンという物質が絡みついている。ミエリンに覆われた部分は処理速度が向上するが、刺激への反応は鈍くなる。思考がルーティン化するというわけだ。脳の成熟とともに本能担当の脳幹部分と理性担当の大脳皮質がミエリンでつながれ、衝動を抑え込めるようになる。これが思春期の終わりで、だいたい30歳ころだという。

■番組では簡単なゲームをしていた。風船をクリックで膨らます。大きく膨らませられれば高得点だが、割れたらゼロ。いつ割れるかはランダムに決まる。大人は慎重に押し、そこそこの大きさでやめてしまう。だが、子供(18歳だったかな?)は割れるのもいとわずどんどんクリックする。たいていは失敗するが、ときに大きな報酬を得る。

■アフリカのある部族には思春期の若者だけで狩りに行かせる風習があるそうだ。大人はこれまで獲物が取れたところで狩りをする。だが、若者は未知の場所へ行く。たいていは失敗に終わるし、命の危険もあるが、新たな狩場を発見する可能性もある。見つかれば部族の利益になる。

■ゲームや動画に夢中な子供らを見て、つい「いつまでおなじことをしているんだ」と思ってしまうが、あれはあれでなにか新しいものを得るためのtry & errorなのかもしれない。そんなことを考えた。そうだとして、得られる「報酬」がなんなのかという問題もあるわけですが。とりあえず、報酬をお金と考えれば、わりとあちこちに「報酬」は用意されている(そればっかりなのが難点ともいえる)。あちこち踏み込めば、なにかを得られる可能性はある。冒険を許す環境があればですが。風船のゲームだって、罰がないから何度でも膨らませられる。自己責任の弊害と格差の種はあちこちに埋められている。

■そもそも、現代の若者たちは「人に迷惑をかけてはいけない」という価値観に強く支配されており、try & errorを避ける傾向にあるとのこと。一度の失敗が致命傷になる世界ならなおさらだ。このへんは『ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて)』に書かれたことと共通する(しかし、この本が出たのも10年前ですか)。

hyouryu.hatenablog.jp

■番組ゲストの大学教授によれば、思春期とは「子供というケアされる側から、大人というケアする側へと移行する時期」なんだそうだ。個体差はあるが思春期の終わりは30歳くらいまで。それくらいまではまわりに迷惑かけつつでも無事に生きていける社会が必要ということでしょう。

■30歳だと結婚や出産は、いわば「思春期の途中」に組み込まれていることになる。そもそもが後先かえりみずやらないと、なかなかできないものなのかもしれないね。失敗してもある意味当たり前。それでも「ケアされる」環境がないと、自然と晩婚化するし、理性が勝れば子供を持たない選択もしますわな。