■何年か前、「里山」がブームになった。野生動物のいる山があり、人の住む里があり、あいだに適度に人の手が入った里山がある。里山は里の生活に必要な燃料や肥料の供給源であり、動物と人との緩衝地帯でもあった。里山が失われたことで、動物が直接、人間の居住地に入り込んでしまうトラブルも増えた。
■先日、 啓成高校の総合学習でゲストスピーカーとして話をしてきた。「学校とはなにか」を考える授業だったが、あえてそこは外した。俺は、子供から大人への成長過程に興味があって、特にモラトリアム期間に興味がある。大人になるには時間がかかる。自己探求のため社会的に認められた猶予期間を「モラトリアム」と呼んだ。だが現在、村澤和多里さんの『ポストモラトリアム時代の若者たち』ではないが、自己確立の期間として許されてきたモラトリアム期間は消失し、子供は試行錯誤なしにダイレクトに大人へならなければならなくなった。しかもその際の選択は「自己責任」だ。
■それって里山が消えた状態と似ているなと思ったのだった。AからBへ、緩やかな変化のどこかに身を置くということができない。
- 作者: 村澤和多里,山尾貴則,村澤真保呂
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2012/10/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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■どうやらポケモンの世界は10歳で「大人」になるらしい。義務教育の小学校のみ。10歳で卒業したあと、中学校へは希望者だけが行く。サトシはポケモンマスターになるのが夢なので、当然、進学はしない。そこまではわかったが、どうすれば「ポケモンマスター」になれるのかはわからない。なぜ旅に出るのか。中卒からでは間に合わないのか。もう少しちゃんとした装備をしてはどうか(だって、あたりの景色を見たらけっこう険しい山だったり)。旅の終わりはいつなのか。さっぱり明らかにされない。
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■それでふとサイを思い出した。シロサイは2歳半になると群れを出る。おなじ若いサイと一緒に「バディ」と呼ばれるグループをつくり、あちこち放浪する。サイは縄張り意識の強い動物だが、バディが縄張りに入っても追い出さない。むしろ、水場や餌場など生活の知恵を授ける。そうして10歳ころまで旅を続けたのち、一人前のサイとして、自らの縄張りを持つ。
■ポケモンの世界もシロサイとおなじ仕組みなんじゃないだろうか。10歳になるとポケモン一体と「バディ」を組んで旅に出る。サトシのように才能があり、ずっと旅を続ける者もいれば、才能に見切りをつけ帰ってくる者もいる。旅を終えた者は新たに訓練を受け、ほかの職につく。「大人になるには時間がかかる」と書いたが、ポケモン世界は、子供から大人への移行過程に「旅」というモラトリアム期間を設定。社会を知り、自己を形成するまで安全に旅を続けられるようサポートしているのではないか。
■「スタンド・バイ・ミー」のような「通過儀礼」説も考えたけど、旅に出ず進学する子もいるみたいだし、サトシがいまだ夢をあきらめず旅を続けている(自己探求の継続)ことから、モラトリアムの方が妥当とふんだ。でも、そうなると、サトシはポケモンバトルに勝てば勝つほどピーターパンになるんだな。確かに、アニメでももう20年以上子供のままだ。