漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

レジュメ考え中

■三月に後志の民生委員の児童委員会研修で不登校について話すことになって、どんなことにしようかとぼんやり考えている。

■最近の自分のブームはケアラーについての話だ。最近、ヤングケアラー支援についてのポスターの表現が云々されているとTwitterで見かけた。武井壮がビジュアルで出ていて「家族を支えているヤングケアラーはかっこいい」というコピーが書いてあるのだけど、ヤングケアラーを無くすべきなのに「かっこいい」と美化してどうする、ということらしい。しかし、ヤングケアラーの存在を無くせば問題が無くなるわけではないだろう。そもそも、ケアする人がいるということは、ケアされる人もいる。ケアされる人が家族に介護されることを望んでいるとしたら、ヤングケアラーはダメと言うことは弱い立場の人の希望を断ち切ることになるという点については、どう考えるのか。また、家族間介護が全て否定されるようなことかといえば、そうとは言えない。家族という繋がりの中でお互いにケアの関係を望むということもあるし(家族に頼みたい、家族をケアしたい)、家庭の中に第三者が入ってくることを望まない人たちも多い。ヤングケアラーを無くせというのは正しさも含んでいるが、当事者を無視した言葉になることもあるということだ。

■さて、介護の全例を家族以外の社会が引き受けることが出来ないことと不登校を100%無くすことは出来ないことは相似形である。「家族介護を無くす」と「不登校を無くす」という単純な問題解決策は一見正しいように見えて、介護や不登校によって成長・自己実現が阻害されるようになっている社会システムにまでは射程が及ばない。必要なことは、それで当事者がどういう不利益を被っているか何を求めているのかを知り、不公平な状態を是正することだ。また、不登校の場合、親がケアラーとしての性格を持つことになると言えるだろう。元来親は子供のケアをする立場として「保護者」とも呼ばれるが、子供が不登校になるとその性格がより強まるとも言える。その時、親支援はケアラー支援と同じ視点を持つことができそうだ。

■こんなことを盛り込みつつ、いつもしているような話をどう組み合わせるか。パワーポイント作らなきゃな。(火曜日)