漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

「学校復帰を前提としない」は誤解

不登校の子に対し「学校に戻ることを前提としない方針を打ち出した」との指摘は誤解だと文科省が通知を出したとのこと。

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2019年10月25日に出された通知をあらためて周知するとの内容なのだが、この2019年の通知は、当時、文科省が学校復帰前提の姿勢をあらためたと評判だったのだ。不登校新聞は「いま不登校支援のあり方が変わる、文科省が新しい通知を発表」との見出しで「学校復帰に捉われない」新しい不登校対応を文科省が求めたと報じ、「学校復帰」の文言が消えた新通知には大きな意味があるとする奥地圭子氏のコメントを掲載した。

■おなじ通知が今回は学校教育の必要性を訴えるものとなっている。どちらが正しいのか。「不登校児童生徒への支援に対する基本的な考え方(別紙)」にはこうある。

以上のように、同通知では、不登校児童生徒への支援の視点として、

  • 不登校児童生徒への支援は、「学校に登校する」という結果のみを目標にするのではなく、児童生徒が自らの進路を主体的に捉えて、社会的に自立することを目指す必要があること、
  • 不登校の時期が休養等の積極的な意味を持つことがある一方で、学業の遅れや進路選択上の不利益等が存在することに留意すること、

等を示しつつ、その前提となる学校教育の意義・役割として、

  • 学校教育の役割は極めて大きく、学校教育の一層の充実を図るための取組が重要であること、
  • 既存の学校教育になじめない児童生徒については、学校としてどのように受け入れていくかを検討し、なじめない要因の解消に努める必要があること、

等を示しているものである。

学校という場は、多くの人たちとの関わりの中で様々な体験や経験を通して、実社会に出て役立つ生きる力を養う場であり、様々な制度や公的な支援により質の担保された教育機関である。こうした学校教育を受ける機会、周囲の児童生徒と交流や切磋琢磨する機会を得られないことにより、当該児童生徒が将来にわたって社会的自立を目指す上でリスクが存在することを踏まえ、引き続き、学校関係者には、不登校児童生徒の社会的自立のために当該児童生徒が学校において適切な指導や支援が受けられるよう尽力いただきたい

「学校復帰」を目標にしなくてもよいが社会的に自立させねばならない。休む意味は認めるものの不登校自体は社会的自立のリスクになる。その点で学校教育の果たす役割は大きく、不登校の子供たちが学校で指導、支援を受けられるよう努力せよ。通知の意味はそうだ。行政文書をもっとも的確に理解するのは行政機関だが、実際、2019年の通知について北海道教育委員会は「大事なことは学校復帰に向けた支援と学びの機会を作ることの二つ」と述べている。

hyouryu.hatenablog.jp

引用に「引き続き」とあるように文科省の姿勢は一貫して変わっていない。「学校復帰が前提ではなくなった」とは一部関係者が意図的にピックアップしたに過ぎない。遠くで言う分にはかまわないが、東近江市長の発言からこっち、ちょっと声が大きくなりすぎたので趣旨を明確にしたのだろう。

■では、フリースクールはなんの役目を果たすのか。通知にはこうある。「児童生徒の状況により、フリースクールなどの民間施設やNPO等との連携が必要となった場合にあっても、当該児童生徒の在籍校及びその設置者においては、関係機関と連携して在籍児童生徒の心身の健康状況・学習状況等を把握し、必要な支援を行うことが重要である」。COCOLOプランにも「社会的自立に向けて連続した学習ができるよう、学校や教育委員会NPOフリースクール等との連携を強化します」とある。道教委にならえば「学びの機会を作る」になるのだろう。もっとも学習状況は学校が把握するので、学校の下請け機関がフリースクールとの図式になる。

■2020年7月の不登校新聞で「教育機会確保法の現在地」という特集が組まれた。原稿を頼まれ、フリースクールは「社会的な自立を目指し、円滑な学校復帰が可能となるよう個別指導等の適切な支援を実施する」グループに含まれた、民間団体との連携強化と学校復帰は確保法を元にした一続きの施策だと書いた。その理解はいまも変わっていない。当該記事は会員にならないと読めないため、自分の書いた分だけ公開する。

教育確保法の現在地.pdf - Google ドライブ