漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

平成28年度不登校児童生徒支援連絡協議会

■12月21日(水)、道教委主催「不登校児童生徒支援連絡協議会」に出席。毎年開かれている会だが、今年はこれに「教育支援センター等の設置促進事業連絡協議会」が加わった。文科省が予算をつけ、各自治体の教育委員会から事業を募集。北海道からは岩見沢、石狩、小樽、苫小牧が手を挙げた。大元に「フリースクール等で学ぶ不登校児童生徒への支援モデル事業」なるものがあり、教育支援センター等の設置促進支援事業そのなかの項目のひとつだ。もうひとつ、「フリースクール等で学ぶ不登校児童生徒への支援(経済面・学習面・連携強化)」というメニューもあるのだが、こちらは実施自治体がなかったらしい。

■各自治体は「不登校児童生徒の支援」を目的に教育支援センターを設置。これまでの適応指導教室の枠をこえた活動ができる。で、なにをしたかといえば、どこも学校訪問。市内の小中学校をまわり、不登校の児童生徒および不登校の兆候が見られる児童生徒を把握する(このあたりの情報管理がどういう仕組みになっているのかよくわからない)。学校からの求めに応じて家庭訪問をしたり、先生方へ指導をしたりする。状況に応じてスクールソーシャルワーカーを派遣したりもする。

■活動が功を奏し、どこの自治体も適応指導教室へつなげることのできた児童生徒が増えたそうだ。そんなの当たり前だろう。これまで、来るも来ないも学校に任せっきりだったものを、こちらか出向いて宣伝したら、新規の利用者を獲得できた。言っているのはそういうことだ。新しい層を開拓してどうなったか。不登校の背景には家庭の経済問題があるとわかった。または発達障害の特性から来る課題があることもわかった。ついてはさまざまな機関と連携を深めねばならない。そんな事例発表ばかりだった。今さらか。

■発表者のひとりは、まず子供と信頼関係を築くことが大事であり、なにをするにもそのあとのことだと言った。別の人は、適応指導教室は安心できる居場所であるべきと言った。子供たちのところへ出向くことが大事と行った人もいた。体験学習や卓球などのスポーツを充実させているところもあった。およそフリースクールの活動と一致する。それなのにどうして、「目的は学校復帰」になるのだろうか。そこにズレを感じないのか。

■実践発表のあとは数人に分かれてのグループ協議を行った。テーマは「不登校児童生徒の連携にかかわる課題と解決策」。まず課題を挙げろというから、「学校復帰が共通の課題にならないこと」と書いた。学校はそれを目指すかもしれないが、ほかの機関もそうとは限らない。本人が今後どう生きていくのかという話なのに、学校復帰を掲げるからややこしくなる。そう話すと全員がうなずき、しかし、その後もどうやって学校へ戻すかという話題が続く。わけがわからない。

■あるグループの図は、「児童生徒」を真ん中に、「家庭」「学校」「教育支援センター」が周りを囲み、それぞれの課題が書いてあった。児童生徒の欄は「本人も不登校の理由がよくわからない」「気づいたら学校へ来なくなっていた」などあいまいなのに対し、残りのみっつは非常に具体的に述べてある。しかも、そのほとんどが内部での調整、連絡の不備についてだった。「内部で混乱したまま子供を学校に戻そうとやっきになっているので、よその機関ともつながらないし、子供の事情も見えない」様子がみごとに描き出されている。不登校で困っているのは実は大人であり、連携を必要としているのも大人で、なのに支援されるのは子供なのが、不登校問題の根幹だろう。「大人の不安を解消するため子供を追い立てる」という不登校の図式がきれいにあらわれ、目まいがしたのだった。

■「安心できる居場所」と言いながら学校復帰を目指すのも同じなんだろう。実際に子供と会えば、彼らに必要なものは見える。求められたものは提供したいが、それだけでは自分の困りごとは解決しない。そう考えると「親の会」というのはいい取り組みだなと思うのだった。自分の不安を自分のものだと受けとめ、子供に背負わせない。教育機関には自助が足りないのじゃないか。