※以下の文章についてのTwitter上での問いかけに対しては
日誌「旗色不鮮明」について - 漂流日誌
に応答しておきました。そらちも参照してください。
■栗田隆子さんの"その「支援」、あるいは、その「イベント」本当に必要ですか?"というネットラジオ配信を聞いた。栗田さんは同日同時刻に行われた公益社団法人青少年健康センター『2023年度シンポジウムその「支援」、本当に必要ですか?』に登壇する予定だった。しかし、同席する斉藤環氏が以前に主催したトークイベントで不登校新聞社代表の石井志昂氏を呼んだことに対して、東京シューレ性加害事件への対応がなされていない中で加害当事者と関係の深い石井氏を呼ぶのは被害当事者を傷つけるものであると不登校関係者から連絡をもらったことで、栗田さんは同事件の経緯を知った。そこで斉藤氏にどう考えるかとやり取りをしたところ、「不登校新聞社代表をイベントに出席させることを被害当事者に伝えることは反応するよりも過酷な二次加害になると個人的に判断した」とのこと。その姿勢に納得いかず栗田氏はイベントを降板することにした。そこで今回、それに対抗する形でネットでラジオ配信をしたという流れである。配信はここで聞ける。
https://www.spooncast.net/jp/cast/5695658
■栗田さんは配信を通して、「支援」という言葉で隠蔽されていく問題について訴えている。また、社会的解決が必要な問題が個人の問題とされ、「支援」と結びついていく流れについても反対している。これは漂流教室の活動を通じて得ている感覚と同じであり、全く同意しながら話を聞いていた。これについては、もう少し考えてまた書こうと思う。
■その一方、話の発端となった不登校新聞社とはずっと以前からやり取りがあり寄稿したりもしているし、石井氏はもとより他の社員とも知り合いだ。事件そのものについては第三者でありながら、当事者の一方とは繋がる自分がどう行動するのがいいか、戸惑いつつこの数年過ごしている。
■自分が繋がりを持つ当事者は批判されるべきと思うし、本人達にも意見表明している。そうするなら縁切りして批判しろという向きもあるのは承知しつつ、敢えてそうしていないところもある。旗幟鮮明にすることと分断は表裏一体であり、分断後に起こるのはどちらかの主張に与しなければ関わりを持つなという潔癖主義である。元々持っていた関係性を放棄するかどうかを迫られるのは随分と暴力的に感じるが、旗色不鮮明にすればどちらからも嫌われる。
■まあ、第三者だから今はそうやって嫌われてもいいのかもしれないとも思ってはいるが、それはそれで寂しいものがある。どちらとも関係を絶たずに話が出来る立場の人がいても、いいと思うんだが、だめかい?
■筒井康隆に「旗色不鮮明」という短編があるのを思い出したのでアマゾンのリンクでも載せておく。
(12/8)