漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

実はわかってる

■2月18日のフォーラム感想。「実はわかっているんです」と棚園さんは何度か言った。

■学校を休んで、なにもしないでいるのはつらい。ひたすら絵を描いたけれど、それでなにかが解決するわけじゃないと実はわかっている。親が悩んでいるのも実はわかっている。それでも気を遣って接してくれているのもわかっている。不安をぶつけてもどうしようもないと実はわかっている。それでも止められない。家のガラスを割る。水銀を飲む。もちろん、そんなことをしても仕方ないとわかっている。わかっているから、どんどん自分がイヤになる。

■そう。子供は大人が思う以上に「わかっている」。そして、なにもかも自分のせいだと引き受ける。棚園さんを叩いた先生を棚園さんは恨んでいないという。学校も憎んでいないという。父親に「育て方を間違った」と言われたときも、腹が立つより、そんなことを言わせた自分が悲しくて、もっと努力しなければと思う。

■自分のせいで親が肩身の狭い思いをしているのじゃないかと心配し、毎日「明日は学校へ行くよ」と答える。学校で自然に振る舞えるようシュミレートする。でも、そもそも学校での「フツウ」がわからない。それなのに自分は「フツウじゃない」のはわかる。不安で、夢に「黒いおじさん」があわられるようになる。

■マンガでは「黒いおじさん」が前方からやって来る。ここがちょっとおもしろかった。空想で描くなら、後ろから追っかけられる構図を描くのじゃないか。あるいは覆い被さるか。でも、このとき恐怖はすこし先にある。

『学校に行けない僕と9人の先生』(c)棚園正一/双葉社

■あえて「たかが」とつけるけれど、たかが学校へ行かないくらいで、どれだけ子供が頭をフル回転させ、感覚を研ぎ澄まし、胸を痛めているか。聞いていてつらかった。そんな状況はおかしい。一方で、こうも思う。「実はわかっている」のは保護者もおなじなんじゃないか。無理やり登校させたところでどうにもならないと実はわかっている。理由を聞いたって困らせるだけだと実はわかっている。不登校を隠したがっている自分がいるのもわかっている。その心が子供に透けて見えるのも実はわかっている。子供にそんな思いをさせているのが悲しくて、もっとがんばらねばと思う。

■「実はわかっている」同士が、それでも止められなくて、ぶつかって傷ついて、余計に自分を追い込む。「大丈夫」なんて安請け合いできるのは「わかっていない」第三者で、でも、その存在はときにがんじがらめの思考を無効化する。棚園さんの場合は鳥山明だったが、それはひとつの象徴で、きっと誰でもかまわない。「不登校」「学校」の色眼鏡を外して接する人なら。

鳥山明との出会いは劇的だけれど、だからって日常が劇的に変わるわけでもない。行ったり来たりしながら時間は流れ、不登校は「乗り越えた」んじゃなく「過ぎていった」と棚園さんは表現した。自分が学校へ行っていなかったこともマンガにするまで忘れていたという。「もし自分の子供が不登校になったら?」の質問には、「えーっ、なんで?って思う」と答えていた。質疑応答ではほぼすべての質問に答えてくれたが、広い視野でフラットにものを見ていると感じた。「学校を休んでいたころの自分に、いま自分が描いているマンガを見せても読まないと思う」との発言にそれがあらわれている。

■講演後の懇親会では「それ、おもしろいですね」といろんな話に食いついていた。それこそ色眼鏡で見ず、なんでも観察する。マンガ家だからそうなのか、そういった見方ができるからマンガ家になったのか。「相馬さんって共同生活できなさそうに見えるんですけど、どうやって過ごしてるんですか」と質問された。そ、そうですか。そう見えましたか。いえ、そのとおりですが。わかってます。(2/20夜)