漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

頭を抱える

■さてさて、噂の保護者交流会の資料をもらったので、じっくり読んだ。

hyouryu.hatenablog.jp

保護者同士の交流タイムにさきがけ、教育相談室職員による講演があった。スライドの内容がそのまま資料として配られている。演題は「教育相談室から見る子ども理解~不登校児童生徒の支援について~」。内容は大きく分けて4つ。

  1. 不登校に対する基本的な考え方
  2. 教育相談室から見る不登校
  3. 具体的な支援
  4. 保護者と子どもを支える人材や関係機関

■項目1では、行き渋りの子供の状態や、それを見た保護者の心理状況を説明する。前日までは学校に行くと言い、本人も行くつもりだったのに、朝になるとおなかや頭が痛くなる。親は「今日も行けなかったらどうしよう」と不安になり、欠席連絡の負担や将来の心配につぶされそうになる。せめて行けない理由がわかればと思うが、子供に聞いても答えてくれない。よくある光景だがこれについて資料では、

  • 子ども一人一人、不登校の要因や状況は異なる。複数の要因が重なっている場合もある。個々の状況に応じた関わりが重要
  • 子どもを取り巻く環境(人・場所)によっては、誰でも起こり得る

と説明。学校に行き渋るのはあなたの子だけではないし、理由はときに複雑で本人にもわからない場合もある。「子どもを取り巻く環境によっては」というのだから、本人のせいでもない。模範的な説明だと思う(強いて言えば『は』と句読点で強調した理由は聞きたい)。冒頭の不登校の定義をのぞいては。

不登校とは
「学校に行こうと思っている…」けれど「行けない」

ポイントはここ。これがずっと影響する。

■項目2「教育相談から見る不登校」は、不登校のきっかけや要因について、コップの水のたとえを用いて説明する。さまざまな不安やストレスがたまり、コップの縁からあふれてしまう。あふれさせないためには適宜ストレスを発散、解消することが必要だ。

■相談事例から見える不登校のきっかけや要因は多岐にわたる。友人との関わりや学習への不安。宿題を終わらせてないことへの罪の意識。給食、スキー、学習発表会。学校自体が怖い。先生が怖い。家にいたいなどなど。それらについて小学校低学年、中学年、高学年、中学校と四段階にわけて「支援の視点」を解説する。山田の日誌にある「小学校から中学校の引き継ぎの時には保護者から働きかけをしてほしい」もここに出てくる。正確には「小学校から中学校へのスムーズな接続、引継→中学校入学前に、不登校の経緯や支援を保護者から学校に伝え、情報の共有を図る」。

■あくまで相談室なので、実際に動くのは学校や保護者なのはわかる。それにしても保護者の負担が多い。項目3「具体的な支援」では「保護者と子どもの関わり」にスライド8枚中7枚を割く。

  • 元気の回復、状況の改善に向けて、家庭内で元気に
  • 保護者が落ち込んでいると、子どもも辛い
  • 子どもの状態改善は、家での保護者の関わり方が良いから

そして一段と大きなフォントでこうつづる。

保護者が「子どもの相談相手」になる

(これまた細かいことだけど、子どもの『相談相手』じゃなく、『子どもの相談相手』なのはなぜだろう)

■学校や関係機関の役割は「適切な登校刺激」(!)であり、保護者の役割は子供への「笑顔で会話、励まし」=「子どもの相談相手」になること。おそらくこれが「ストレスの発散、解消」にあたるのだろう。両者が情報交換を欠かさないことで、子供に学校復帰の兆候が見えたさいに効果的な連携を図ることができる。

■保護者の関わり方の例として「登校のみを目的としない」「見守ることも支援のひとつ」「焦らず、慌てず子どものペースを大切に」といった言葉が並ぶのだけど、これはちょっと無茶だなあと思う。というのは前段の「不登校のきっかけ・理由」のところで、

  • 原因探しや待つだけでは、うまくいかないこともある
  • 欠席が長期化することで、二次的な理由も生じる

と書いているからだ。市教委のいう「不登校」はそもそも「学校に行こうと思っているけれど行けない」状態であることを思い出してほしい。そして学校や関係機関は「適切な登校刺激」をおこなうところなら、なにをどう言い繕ったって学校復帰しか道はない。おまけに欠席の長期化でさらに問題が生まれるとあっては、焦るなと言う方が無理だ。なにせ「子どもの状態改善」は保護者の関わり方次第なのだから。

■項目4「保護者を支える人材や関係機関」では、学校の先生や相談支援パートナー、スクールカウンセラー、教育相談室に相談指導教室に加え、「その他の関係機関」として、SSW、児相、子どもアシストセンター、札幌こころのセンターなどが並ぶ。ここにフリースクールや親の会がないと山田は言うわけだが、それは仕方ないだろう。だって、関係機関の役割は「適切な登校刺激」なのだ。学校復帰を目指さないフリースクールなんぞお呼びじゃない(SSWや児相の役割もそうなのか疑問が残るが)。

■この資料を読む限り、札幌市教育委員会は学校復帰を不登校対策(支援)の前提としており、そのために保護者の協力を強く求めている。この交流会に出て、肩の荷が下りた、悩みが軽くなったと感じたる保護者はいるのだろうか。さらなる責務を負わされたと感じたのじゃないか。

■おまけ。札幌市が不登校児童生徒数を発表しなくなったのは2017年度から。2018年度から文科省発表のデータに政令指定都市が追加されたのであまり意味はない。不登校の増加理由について「学校に対する意識や捉え方など、社会全体の変化も背景の一つにある」とあって、これがおそらく「教育機会確保法の影響」というヤツなのだろう。ただ、これも無理があって、市教委の定義する不登校は「学校に行こうと思っているけれど行けない」なのだから、

  1. 学校に行こうと思っているけど行けない子が、
  2. それでも登校していたのを、
  3. 確保法の成立により学校を休むことが認められたため、
  4. 登校しなくなった

ということになってしまう。そんな複雑な状況が全国で毎年1万件ずつ増えてるはずないでしょう。というか2番目の時点で不登校ではない。

■ひょっとして市教委は、学校に行きたくない児童生徒は「不登校じゃない」と決めたのかもしれない。「決めた」は言い過ぎにしても、対応の順番を下げたとか。そもそも不登校は「問題行動」ではない。必ずしも学校復帰を目標にしなくていいと文科省も言っている。経産省文科省の進める「個別最適化」された学習で、登校しなくても「学びが止まる」こともない。じゃあ、対策する必要なんてないじゃないか。

■教育機会確保法は不登校児童生徒の状況把握を求めている。なので、安否確認はおこなう。また不登校児童生徒およびその保護者への情報提供や助言もする必要がある。なので、交流会を開いた。もし学校へ行きたいと子供が言い出したら、いくらでも対応します。学校および関係機関の役割は「学校に行こうと思っているけれど行けない」子に「適切な登校刺激」をおこなうことですから。

■という見方はうがちすぎかなあ。でも、本当にこわいのは、こう言われたときに跳ね返す言葉がないということだ。法律に則って対応している。そもそも、教育機会確保法はフリースクールが望んで成立したものじゃないか。そちらの要望を受け入れたのになんの不満があるんですかと、俺なら言う。

■「学校」「不登校」「休息」「教育機会の確保」。なにかを掛け違えたままここまで来て、その結果が市教委の資料に現れている。大きく塗り替えねばダメだということはわかって、しかし、どこからどうするか頭を抱えている。

■と、ダダっと懸念を書きつけてからもう一度、資料を読み返してみた。もしかして、本当に保護者の気持ちを楽にしようとしてこの資料をつくったってことはないだろうかと思って。

■「教育相談から見る不登校」には、小学校低学年から中学まで、段階をわけて多くの不登校の要因が書いてある。当てはまる保護者もいるだろう。周囲の評価が気になって自信をなくしたケースには、「自信のある教科や取組から参加する」ことを勧める。いきなりすべての授業に出なくても、「スモールステップ」の参加でかまわない。そうやって、いろいろな窓口を開けておく。この項のまとめにはこうある。

子どもの成長は連続。子どもの変化を複数の目で捉え、動き出すタイミングでキャッチする

そのために連携していきましょうと読むこともできる。例の「適切な登校刺激」にしても、登校をうながすのは学校なり関係機関がやるので、家では子供の状況を受け入れて、なんでも相談できるようにしておいてくださいと言っているのかもしれない。

■「子どもが動き出したくなったときのために」、担任に子供の好きなことを知っていてもらう、小学生なら一緒に遊んでもらうのがなにより、なんていうのは悪くない。一方で、全職員に状況を知ってもらい「同じスタンス」で関わってもらうのは、保護者がするには荷が重い。

■ということで、やはりここへ戻ってくる。

不登校とは
「学校に行こうと思っている…」けれど「行けない」

これを、

不登校とは
「学校に行きたくないと思っている…」けれど「無理して行き限界が来た」

にできなかったんだろうか。そうしたところで保護者の姿勢はそんなに変わらないし、不登校増加の説明とも齟齬がなくなる。

■なぜこんな書き方になるのか。読み返して、「無理が来たからちょっと休む」という視点がないんだと気づいた。不登校の子はなんらかの困難を抱えている。支援することでつまずきをなくす、あるいは減らす。いかに遅滞なく、またストレスなく学校へ戻るかというスタンスでこの資料は書かれている。

■「戻る」と書いたが、正確には「戻す」だろう。誰が戻したいのか。まずは保護者だ。で、あらためて、保護者の気持ちをこの資料は楽にするのかな。学校に戻したいという保護者の気持ちに「寄り添う」ことは正解なのか。いや、寄り添ってはいないか。戻したいのは学校も一緒で、そのためにタッグを組みましょうというお誘いだ。それが子供の「支援」になると。

■だが、このやり方では、子供は追い詰められる。そもそもの前提がズレてるんだから仕方ない。子供が追い詰められれば保護者だって苦しくなる。まあ、不登校の定義を、

(まわりは)「学校に行かせたいと思っている…」けれど(子どもは)「行かない」

にすればズレはなくなるんだけどね。どっちも子供を主語にするからおかしくなる。それならせめて「休む」のは悪くないと一言入れてやってよ。そして、教育機会確保法で休息が認められたなんてやっぱりウソだなと思ったのでした。