漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

今度は共創か

■札幌芸術の森で「チームラボ 学ぶ! 未来の遊園地と、花と共に生きる動物たち」を見てきた。

■入場前に企画のコンセプト説明がある。テーマは「共創(きょうそう)」。「共育」とおなじ言葉遊びの類いだろう。「競争」から「共創」へ、みたいな。「協奏」なんてのもあったね。狂躁の果てに凶相にならぬことを祈る。

https://hyouryu.com/nissi0207.htm#84

この辺のひねくれ度合いは前からずっと変わらなくって、20年前にもこんなこと(↑)を書いている。

■いまある仕事は機械に取って代わられる。これからは人間にしかできないことが重要になる。それが「共同的な創造性」、つまり「共創」。現代の教育は「正解はひとつ」と教える。そのせいで人間が本来持っている創造性が蝕まれている。また、徹底した「個人化」により共同性を育む機会が減っている。個人的になりがちな創造活動を、他者との共創的な活動に変えるのが今回の企画の狙い。と、おおよそこんな内容。

■まあ、そうかもねと思いつつ、ちょこちょこ引っかかる。現代の教育では正解はひとつしかない。似たような話はよく聞くけど、そんな感覚はなかったな。「実際の社会に出ると、正解がひとつだけで、他はすべて不正解だという問題なんてありません」とチームラボは言うけれど、そんなの当たり前でしょう。ただ、正解のない問題に取り組むのに土台になる知識や技法はあって、学校ではそれを学んでいると思っていたが。あるいは普遍的な権利について学ぶ。それこそ「個人化」に対抗するんだって、権利の知識と意識が必要だ。

■「人間は、自由な他者と共に、身体を動かしながら身体でものを考えています。そして、人間は、他者と共に創造的な活動によって、この世界を創ってきたのです」なんて言葉はいいなと思う。身体を中心に据えているのがいい。一方で、「個人化」の波は本当に強くて、このコンセプトだっていつ「他者と共に創造的に活動できる能力」へ変換されないとも限らない。「他者との共同」や「コミュニケーション」を重視した結果、それらを苦手とする人たちが「コミュ障」として排斥され、不登校のきっかけにもなっている。

■「個人化」(個別化じゃないところがまたいい)への問題提起は好感。個別最適化と称して選別し、支援と称して回収する。この仕組みにそれこそフリースクールも加担しているのがいまなので。あと、小説『ハンチバック』じゃないけれど、テクノロジーの進歩は参加の枠を広げるので、バリアフリーへ邁進してもらいたい。それこを「身体を動かしながら」だって、人によってどう動くか、どこまで動くかは違う。

■うちのちびっ子は展示会場内を走り回って楽しんでいたし、ものをつくる、発想を形にするって面白いと思った子もたくさんいただろう。展覧会としては成功だし、ケチをつける必要もないんだけど、なんかこう薄っぺらいなと思ってさ。チームラボは早来学園にもかかわっているから、現場を知らないなんてことはないだろうし、反対に俺の見方が一面的なのかもしれないが。

■まあ、早来学園もちょっと遠巻きに見ているけどね。いろんな人が寄っていく感じが気持ち悪い。


■毎日毎日暑いけれど、空を見上げるとうろこ雲がかかっていたり。別にね。夏でも出る雲ですけどね。でも、気持ち涼しさと、夏が終わるさみしさを感じなくもない。さみしさというか、「冬が来る!」って焦りというか。