漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

たまたま

■昨日は埼玉大から見学の方々が見えられた。北海道でのインフォーマルな学びについて研究しているという。なぜ北海道か聞いたところ、もともと夜間中学が研究テーマで遠友塾ともかかわりがあり、北海道の動きを追っているのだという。漂流教室のあとは遠友塾の工藤さんと落ち合って星友館中学へ視察に行くと話していた。星園から星友へ。コスモ星丸

■いまの漂流教室は「学びの場」ではないけれど、開設当初は学習支援をメインにするつもりだった。金額も家庭教師並にして、それで生計を立てようと計画していたのだ。でも、肝心の学習支援はそれほど申し込みがなく、導入コースのつもりだったメンタルフレンドばかりが増える。どうも見当違いだったようだと学習支援をやめメンタルフレンド一本に絞ったのがそもそもの誤り。採算事業をやめて赤字事業に注力するって意味がわからん。その後もフリースペースを無料にしたり、やりたい放題が続く。

■それで20年続いていると知って驚いて(呆れて)いたが、低空飛行を続けられたのはたまたまに過ぎない。たまたま大きな怪我や病気がなかった。たまたま廃校利用に加われた。たまたま札幌市の補助が出た。もちろん人脈を築いたり行政に働きかけもしているけど、それが実ったのだって結局は偶然だ。♪たまたまに見えててもBABY 本当にたまたまなんだよBABY(たまたま/YO-KING

■山田が贔屓にしている東京の夜学Barが今月いっぱいで閉店するらしい。その挨拶がいい。そうなんだよなと頷く中身が多いが、特に「中心をめざす(求心)のではなく、より遠くへ行こうとする態度」を指針としているのに共感する。
ozjacky.o.oo7.jp
■学習だのコミュニケーションだのを打ち出せば一定の利用者が見込めるのはわかる。でも、それじゃ「学校」になってしまうわけです。オルタナティブだろうがフリーだろうがスクールはスクールだ。

■そこから離れて、なんだかわからない存在で居続ける。「××じゃないし、○○じゃないし…」と埼玉大の方が表現に苦慮していたが、まさに「じゃない」でいたいわけです。そのためには常にふらついてなきゃいけない。「漂流教室」の名のとおり。

■でも、外から見ると「じゃない」はなんだかわからない。わかりやすくパッケージして呼びかけたくなることもある。そうやってかかわる子を増やした方が結果的にはNPOの役割を果たすんじゃない、とか。過去ログを見ると、ずーっとおなじことを考えてウロウロしている。イヤになっちゃうがしょうがないんだ。漂流してるんだから。

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