■三が日も明けまして、面倒な話を再開。不登校問題にかかわる団体は公安の調査対象だったことがあります。ちらっと新聞に載っただけなので覚えている人はすくないかもしれませんが、1996年に公安調査庁が下部組織の公安調査局に実態調査の指示を出していました。
■不登校のみが対象だったわけではなく、市民オンブズマンや環境団体、女性の地位向上、日本ペンクラブやアムネスティ日本支部まで含まれるので、人権を訴える団体や市民活動を手当たり次第にピックアップしたのでしょう。「調査対象だった」と過去形で書きましたが、その後どうなったかは報じられてません。いまだに調査対象なのかもしれません。
■まったく不当だ、公安は市民の自由な社会参加を制限するのかと憤るか。いや、我が団体は怪しいことはしていないと身の証を立てるのか。ここで少々危惧していることがあります。
■文部科学省作成の「民間施設へのガイドライン(試案)」は、学校と民間団体との「十分な連携・協力関係」を求めています。フリースクール補助の要件にもたいていは学校との連携、協力が入っている。自民党千葉県連の「(仮称)千葉県不登校児童生徒の教育機会の確保を支援する条例(案)」は、「不登校児童生徒に対して学校以外の場における学習活動その他の教育機会の確保に関する活動を行う民間の団体又は個人」とフリースクールを定義し、「県、市町村、学校、児童生徒の保護者その他の関係者と連携を図りながら、不登校児童生徒の状況に応じた学習活動等を行う」よう求めています。
■もしかすると、これらがフリースクールの身分証明になるのではないか。わたしたちは学校と十分に連携、協力しているから。不登校児童生徒に対する教育機会の確保を目的としているから。自治体や保護者と連携した学習活動を行っているから。だから、怪しい団体ではない。そんな話になった日には、特段なにをするわけでもない漂流教室のような団体は居場所がない。いや、それはいいんですが(よくないけども)、果たしてそれが「多様な学び」の場なのでしょうか。「多様な学び」を掲げる人は、不登校児童生徒に限定しておこなわれる、学校と連携した学習活動をやりたいのでしょうか。それって単なる学校の出先機関なのでは。
■アメリカのクロンララスクール創設者、パット・モンゴメリー氏はフリースクール(デモクラティックスクール)の要件を聞かれ、次の項目が保障されているところと述べました。
- 子供は人間である
- 人間が尊重されている
- すべての人が等しく学べるよう保障されている
- 学びとは過程である
- 学ぶ人がその中心にある
- 学ぶ人の能力や関心は第一に尊重される
■それは問題が違う。自治体や学校との連携、学習活動はフリースクールに公金を入れるための枠であり(千葉の条例案もそのためだろうと推察します)、団体の在り方はとは関係ないとの反論もあるでしょう。ですが、財政支援をするのであれば実態把握は必須、民間だから自由でとはならないと衆院の文部科学委員会で議論されたこともあり、公金導入を理由にした活動内容への介入は十分に考えられます。
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団体への補助ではなく、利用者、利用家庭への補助でもおなじです。ここではつかえるが、あそこはダメと団体ごとの線引きになるでしょう。どこでも大丈夫とはなりません。
■まず外野が騒ぐことも考えられます。それこそフリースクールはかつて公安の調査対象だったとの話を持ち出して、だからしっかり締め上げねばならぬと主張するかもしれません。
■じゃあ、なんでもありがいいのか。おかしな団体を弾く仕組みはいらないのかと言われれば、それも違う。いつもとおなじ、ごちゃごちゃ考えて結論は出ませんが、「多様な学び場」を、「学校以外の選択肢」を増やしたいと活動している方は、そういう面倒くさいものがくっついてくると知っておいた方がいいでしょう。
■自分たちの望むものはつくれないかもしれない。つくれば公安に調査されるかもしれない。それもひっくるめて不登校という問題はある。実に変な話なんだけど。ちなみに、パット・モンゴメリー氏はフリースクールの要件としてもうひとつ、「self-government」が大事と言っておりました。