■昨日の高田さんの日誌。集団生活が「苦手」な人と集団生活が「できない」人がいて、ひょっとして苦手な人の方が大変なのかと思ったりした。「苦手」ってことは、やりたくない、うまくやれないけどできるってことでしょう。で、そうしなくちゃいけないという強迫観念もあったり。そりゃ、だんだん澱がたまっていくだろう。
■ああ、でも、「できない」人も「できないことに気づいている」人と「できないと気づいていない」人がいるのかな。自分には集団行動はできないと知っている人は、その自分の処遇で悩みそうね。できないんだから知らねえよ! と開き直るか、転ばぬ先の杖でカミングアウトするか。
■ある時期までの俺は、自分に集団行動ができないと気づいていなかった。自分ではちゃんとしているつもりが、まわりからは突然いなくなる、注意しても直らないと思われていた。なぜわかるかと言うと、夏休みの林間学校でもらった寄せ書きが「いつもいなくなる!」と苦情ばかりだったからです。そういや、前にも書いてたな、この話。
で、おなじ言い訳をするけど、いなくなってない。休み時間を有効につかっていただけです。直るわけないのよね。自分が悪いとか間違ってるとか思ってないんだから。
■じゃあ、そんな俺がそのまま来られたのはなぜなのか。時代か。まわりがいい人ばかりだったのか。冷たくされたことにも気づいてなかったのか。理由はいろいろありそうですが、大事なのは、こうやってあーでもないこーでもないと考えることでうっかり余計なことを言う危険が減ること。「気にするな」とか「たいしたことないよ」とか、なんも知らんくせに勝手なこと言うなと思うじゃない。
■NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」はそのへんのもどかしくも大事な距離をていねいに描いていておもしろい。今月いっぱいで終わりだけどね。総集編があったら観る。