漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

B面

■6月17日の日誌で遊びの大切さについて書いた。
hyouryu.hatenablog.jp
一方でこんな気持ちもある。

■結局、「遊ぶ」だって「学ぶ」だって、なにかをするには違いないじゃないか。なんなら「休む」もそうだ。なにもしない、できない。動けない、動かない。迷ってうだうだして迷惑がられて自分でもうんざりして、なにかを始めたりあきらめたり、そうして日々が過ぎていく。それでいいんじゃないの、別に。

■子供たちが夢中で遊んでいる、真剣に学んでいる。そういった様子はウケがいい。がんばってなにかを成し遂げたり、苦労の生い立ちなんてのも歓迎される。ウケの良し悪しは子供らには関係ないけれど、団体はついそれを外にアピールしたくなる。

■なにもしてないよ、させないよ。特別なものもありません。ぐうたら過ごしているだけ。“だから”応援してくれ。そう言いたい衝動がある。到底、受け入れられない姿、態度だろうから受け入れてと。「doing」じゃない「being」だなんて言いながら、簡単に「なにかする」に引っ張られてしまう。なにもしないよ。でも、「いる」のです。

■また、6月24日にはこんなことを書いた。
hyouryu.hatenablog.jp
学校にこういった対応をされるとつい「せっかく行ったのに。もう、なにしてくれてんの」と思ってしまうが、あれ? おかしいぞ。ここにも「せっかく」がいる。

■人はなかなか「せっかく」の引力から自由になれない。つい、行動に成果や見返りを求めてしまう。この日誌を書きながら、どこかに「せっかく登校したのによけいなことして…」と思う自分がいる。この心の動きをつかまえておかないと、いまは子供の味方のようで、なにかの拍子にひっくり返って追いつめないとも限らない。

■なにか語ると、それに隠れた部分が見える。前の主張をひっくり返すような内容を書いておきたくなる。レコード、カセットテープ世代だからさ。B面があるんですよ。