漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

不登校(その1)

■皆さんこんにちは。ボラスタの山川です。新学期ですね。でも寒い。

■今回から毎週火曜日に日誌を書くことになりました。何を書こうかなって思った時に不登校の事を書いてみようと思いました。週刊的な感じにしようかなと思ってますがもしかしたらすぐ終わるかもしれません。

■まず初めに不登校になったのは中学1年のゴールデンウィーク直後でした。突然学校の準備が出来なくなり1つの教科書探すので1時間かかってた気がします。順番に用意をすることが元々苦手で中学校に入ったらそれが悪化していきました。忘れ物をしたら怒られる。どうしよう。と恐怖と不安でもう学校どころではなかったです。学年行事も1年生に炊事学習だけ参加したのを覚えてます。居場所もなく友達もいなく何故来たのかわからなくなりました。そして本格的に学校に行かなくなりました。

■学校に行かなかった時はインターネットなんてなくWi-Fiすら家に繋がってなかったため同じゲームをクリアしてはまたやりをずっとループを繰り返してました。だから今記憶力が良いのもそれがあったからだと思います。皆からは「学校行かなくて大丈夫なの?」とか「勉強は?」とか聞かれたりとか逆に「いいなぁ学校に行かなくて」とか「ずっと寝れたりしていいなぁ」とか言われたりしました。特に親戚とか昔の自分を知る人は状況を知ってるからこそ聞いてきたりしました。

■自分は別に行きたくない訳ではなかったんです。最初はね。「何で行けないんだろう」とか「みんなと違うのは何故だろう」とか複雑な気持ちでいっぱいでした。まあこれが不登校当事者だったり経験者全員が思ってるわけではないと思うんですが。あくまで個人意見です。

■まあそれは置いといて。ある日学校側から保護者と一緒に来てくれと言われ父親と母親と自分は中学校に向かいました。そこで待ってたのは校長先生と教頭先生。そして学年主任と担任。さらには生活指導の先生も待っていました。なんか圧力かけられてるみたいですごい怖かったのを覚えてます。「なぜ学校に来ないんですか?」と聞かれたような気がしました。そんなの分かってたらとっくに解決してるのにな。なんて思いもありました。そしてどの先生が言ったかは分からないんですが、「お母さんは息子さんに首輪をつけてでも中学校に来させる気はないんですか?」と言ったらしいです。母親からの後日談ですが。

■その言葉が母親を怒らせました。それっきり母親は「話すこともないのでもう失礼します」と中学校を後にしたらしいです。この出来事は漂流教室を知る前だったか後だったかは覚えてないのでまたの機会に。そして本格的に不登校になりました。ここから新たなステージへと突入します。と最初はここまでにします。来週【第二章】を書こうかな。ものすごく長くなってしまった。ではまた。