漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

北広島市で講演

■7月29日、北広島市の校長・教頭会に呼ばれ話をしてきました。テーマは「子どもの貧困対策」。これまであまり話したことのないテーマ。だいたいこの手のは山田に依頼がいくからね。

北広島市は「子どもの権利条例」を持ち、子どもの貧困対策計画を策定しています。まずはそこからいろいろデータを持ってきて話しました。絶対的貧困相対的貧困と言葉は知られるようになりましたが、どこまでイメージできるか。大きく不足しているものはすぐに気づきます。でも、小さな欠落やちょっとした我慢は気づきづらい。それらが積み重なって子供の意欲をそぎます。子供のいる場所は決して対等ではありません。「生まれ」による格差があります。


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■格差は一方で「溜め」にもなります。一律に困難が降りかかったとき、困窮した人ほど、早く、深くダメージを負う。新型コロナがいい例です。一斉休校の際、さまざまな対策や「選択肢」が出ましたが、それらをを選べるのもやはり「溜め」のある人たちです。

■学校は本来、格差を平準化する役割を担っていたはずですが、一律に施されるカリキュラムは、コロナとおなじように困窮した家庭にダメージを与えます。それで不登校になっても、新たな「選択肢」は選べない。いわば二重に阻害されているといえるでしょう。学校にほしいのは、子供に「ごめんなさい」や「やっぱりいい」を言わせない体制です。

北広島市は「気づき」による連携を貧困対策として掲げています。では、どうすれば「気づく」のか。とても難しい課題です。禅問答のようになってしまう(いつものこと)のですが、「わかった」と思った瞬間、相手は見えなくなってしまう。わかろうとするのは大事だけど、わかっちゃダメなのです。さらに、相手を知ろうとすることの暴力性にも思いをはせなくちゃならない。なんでお金がないだけで、あれこれ探られなきゃならないのか。でも、知らないとつながれない。そのはざまで揺れてほしい。

■でも、これってよく考えたら、人間関係をつくるときのふつうのやり方の気もします。相手が子供だとか支援の対象だとかになったときに、踏み込む一歩が大きく雑になってるんじゃないか。相手を尊重して関係をきずく。おそらく、普段からやっているはずです。

■会場は、漂流教室をはじめたばかりのころに訪問していた先の近くでした。懐かしく車を走らせていたら、目の前に大きな建築物が(写真)。ファイターズのボールパークでした。そうか。ここにできるんだ。

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