■保護者交流会から一週間経っても、あの場で話されたことはまだ心の中で引っかかっている。何がと言って、どうにもこうにもコミュニケーションの成り立たなさを感じているからだ。相馬がいうように、「休む」のは悪くないと一言入れて欲しいと要望を出したら、今の教育委員会はハイと答えてくれそうな気がする。しかし、その「休む」は登校に資するものだから、という前提があると感じている。
■こちらの考えている休みは休んだ結果どうなるかは不問に付している。強いて言えば、後のことは考えず今その瞬間を過ごすことの出来る魂の休み、とでも言えようか。これは相馬が書いたように、いかに遅滞なく、またストレスなく学校へ戻るかというスタンスを支持するための休みとは違う。
■つまり、教育委員会と同じ「休みは必要です」という言葉を使っても、位置づく文脈が異なっているので対話していると齟齬が生じるのだ。齟齬が生じるならばまだ良い。そこから対話が生まれる可能性があるから。最悪なのは、同じスタンスですよねと違いに目をつぶり自分たちのやりたいことを推進する権力のムーブメントだ。
■文科省或いは各地の教育委員会は、休みを取ることでストレスを軽減させながら学校復帰を目指し、それに乗らない人は学校以外の学びをする選ぶものとして外部機関に任せる、という絵図を作りつつあるのではないか。最終的に、不登校対策=学校復帰という以前からの対応は決して変化させること無く、むしろこれまで以上に巧妙に固定化させる。これをいつかのタイミングで発表するのではないかと危惧している。(火曜日)