漂流日誌

札幌のNPO「訪問と居場所 漂流教室」のブログです。活動内容や教育関連の情報、スタッフの日常などを書いています。2002年より毎日更新

よそを見る活動

■まずはマスク、消毒液の件の続報です。

■コロナ感染拡大防止のためのマスク、消毒液の配布先としてフリースクールが対象外となった件について。今回の補正予算に計上したのは職員向けマスクであり、現在のフリースクール補助制度に職員補助は含まれないため配布できない、というところまではお伝えしました。
hyouryu.hatenablog.jp

■その補正予算の大元は国でした。政府が自治体に対しマスクと消毒液購入の10割補助を決めたのですが、その際の対象施設にフリースクールが入っていなかったせいで配布対象とならなかった(できなかった)と、こういう事情のようです。ということで今回に関しては札幌市が学校とフリースクールとで対応をわけたのではありませんでした。先走った投稿をし申し訳ありません。

■もっとも相手が市から国に変わっただけで、線引きされた状況は変わりません。所属単位で考えるからこういうことになる。施設から子どもへ視点を変えないと、これからもおなじことが続く。

■子ども未来局は別のルートでフリースクールへの補助ができないか検討中とのこと。よろしくお願いします。繰り返しになるますが、フリースクール「補助」じゃなくてかまわないので、子どもの権利を軸に考えてください。

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■さてさて時節柄、日誌も新型コロナ(COVID-19)にかかわる話題が増えています(上のもそうだし)。神経質過ぎかと思いつつ報道などを見ると気にせざるを得ません。毎朝、体温も計っています。

■ところが不思議なもので、自身の体調を注視するあまりかえって調子を崩すということがあります。ちょっとした体温の上下が気にかかる。のどの痛みにドキリとする。体調の変化に敏感なのはいいのですが、いつしか敏感は過敏になり、過敏が不安を呼びます。

不登校もちょっとそういうところがあります。自分を見つめすぎて具合が悪くなる。自身に思いをはせるのは大切ですが、「自分がどうしたいか、よく考えろ」なんてまわりが急かすのはよろしくない。

■どうやら人は気になることから目が離せないようです。そして「不安」はとても気になる存在です。正体を知りたくてついつい凝視してしまう。そんなとき、よそへ目をそらせてくれるのが他人の存在や、どうでもいい話題です。意味のあるものはあまり役に立たない。ブレイクにならないので。養老孟子の本だったと思いますが、いまの世の中は人間関係ばかりで花鳥風月がないと書いてありました。人間関係で疲れたときに目をそらすものがない。気晴らしをしようにも「ほかの人間関係」へ向かうしかない。それでは本質は変わりません。(ソロキャンプがはやってるのも偶然じゃないと思うんだよな)

漂流教室の活動もまた「よそを見る」活動です。始めたばかりのころは一対一の人間関係をきずくのだと肩ひじ張っていましたが、続けるうち、なんだかよくわからない人となんだかよくわからない時間を過ごすなかで、なんだかよくわからない関係のようなものが、できたんだかできてないんだか、まあ別にいいか一週間に一回だし、みたいなものに変わっていきました。利用する側もはじめはお茶菓子なんかを用意して待っていたのが、だんだん、まあ部屋にいたいならいればいいよ、ぐらいになります。

■会ってなにをするわけでもない。でもおなじ空間に自分以外の存在がいることだけは間違いなくて、すこしアンテナがそっちへ向く。その分、自身を見つめる目がすこし弱まる。もうちょっと強い言葉を使えば、学校やら将来やらを考える「邪魔をしに」行っている。ジャミングです。

■その役割をコロナ騒ぎでちょいと忘れていました。対策は対策で考えるとして、ちゃんと他人でいないとね、という自戒の投稿でした。まあ、でも日誌はいろんな人が書いてるからね。それで助かっているところもある。やっぱり他人は大事ですな。